元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

2010-01-01から1年間の記事一覧

「江戸学」のすすめ

「江戸学」のすすめ―貝原益軒の『慎思録』を読む作者: 久須本文雄出版社/メーカー: 佼成出版社発売日: 1992/11/01メディア: 単行本この商品を含むブログ (4件) を見る(慎思録の意訳のほうです) もし自分の行わんとすることが、聖人の行なったのと反対であ…

幸せに生きたもん勝ち

「幸せに生きたもん勝ち」とは思っているのですが、はて、その「幸せ」とは?何なのでしょうね。そのヒントは僕は、「良き生活習慣の継続」にあると信じて疑っていません。それと、「幸せ」とは。。身近に争いがないこと。 もう少し、考えてみましょう。。

不笑不足以為道

安岡正篤さんの御言葉で ・つまらぬ人間が笑うようでないと本当に「道」ではないというわけです。というのをメモっていたのですが。。 これは、おそらく下記の老子の言葉の解釈ですね。下士聞道 大笑之 不笑不足以為道 何かに邁進したいときは、「つまらぬ人…

哲学的ネタ(2)

僕らは、死んだらどこにいくのか。。 仮に、死んだ瞬間に人間が「完成品」になるのであれば、せっかく完成させた品をどこで活躍、披露させればよいのでしょうか。。どこか、完成品たちが活躍する場が、あるのでしょうね。 確かに、人間は死ぬまで未完成であ…

自分が対象物になる

芸能人というのは、みられるヒトたちですね。僕らは、みる側です。 たとえば「アート」の類も、僕らは、みる側です。僕はおそらく、みる側にいる自分が、キライです。 かといってみられる側になりたいのか? といえば、どうやらそうでもないようです。みる側…

哲学的ネタ

自分は何ものなのか? 自分はどう生きるべきか? を考える自由を与えられたこの現代社会を、幸いととるか不幸ととるか。。よくよく考えれば、幸いに決まっているのです。何も考えずに、身分相応に生きれた時代は、確かに貧しく、苦しい時代であったのかもし…

マジメ人間

僕のような根っからマジメな人間にとって、だらだらと、無節操に「アソぶ」のは苦痛でしょうがないのですね。ですから、大学時代、知人とかとだらだら「アソぶ」のはキツかった。。大学を卒業して1年半ぐらい、無職(今でいう「フリーター」)でしたが、こ…

引用

(以下、引用) あなたが人間として生まれてきたからには、あなたは一生のうち一人だけでも不幸な人を減らす責任があります。その一人というのは、あなたです。そして、あなたが本当に幸せになったら、あなたは生きているうちに誰か一人くらいは幸せにしてあ…

死ぬとわかっていれば一生懸命生きる(はず)

僕はけっこう。。100%ではないにせよ、そのときそのときの人生を一生懸命(「精一杯」に近いぐらいに)、生きてきたという自負(自覚?)があります。100%ではないところが、僕らしいです。他のヒトたちは、その日その日を、おそらく30%ぐらいの…

「重要感」

カーネギーは、「自我の拡大」により人間は思いやりのある、親切な人間になれると述べています。 また、その「自我の拡大」が行われるのは、他人に自分の重要性が認められたときであるそうです。人間は常に「重要感」を欲しており、それが満たされると人間が…

やらねばならないこと

人間にはやらなければいけないことがあります。たとえば。。朝顔を洗うとか歯を磨くとかひげをそるとか。。そういうことです。こういった「やらなければならないこと」まで疑ってはダメなのですね。疑う時間があるのであれば機械的にてきぱきとすますべきな…

「独眼竜政宗」を観終えて

まさかひと夏で50話分見ることができるとは。。 「時間」というものに感謝です。 なんだか、「やり遂げた」という気分になることができました。田舎大名の独眼竜政宗が常に「天下」をとらんとする姿勢、そして、強大な秀吉、家康に阻まれ、時代の流れに抗…

気づいたらすぐやる

気づいたらすぐやる。引き返してでもやる。その場でやってしまわなければ、多くのことは忘れてしまいます。「引き返してでもやる」という行動がとれるように、自らをその環境におけるかどうか、が問われるわけです。たとえば、僕は通勤の途中いろいろなこと…

「他力」のハナシ

「完全他力」そもそも僕の心臓は、誰が動かしているのか? を考えはじめると。。 僕の心臓を動かしているのは僕ではない。言い方を変えれば「僕の意識」ではない。じゃあ誰(何)なのか? ということを、も少し身近に、宗教っぽくなく、考えてもいいと思うの…

今日やれることは今すぐやる

自分の座右の考えおよび、家族に伝えておかねばならないことその2は。。 「今日やれることは今すぐやる」ということです。そして、あわよくば、明日やれることであっても今日やってしまう。どんどん今日、すなわち「今」に詰め込んでゆく。その心持により、…

排便の大事さ

夏休み、例年のごとく帰省しました。 帰省先では、僕の思考のまとめといいますか。。私個人、および、家族に伝えねばならない「訓」について、ぼーっと考えていました。。まず、キタナいハナシであるとは認識しつつ、排便の大事さを語らずにはいられません。…

「僕の生きる道」2

「僕の生きる道」僕の生きる道 DVD-BOX (デジパック仕様セット)出版社/メーカー: ビクターエンタテインメント発売日: 2003/06/27メディア: DVD購入: 1人 クリック: 98回この商品を含むブログ (44件) を見る余命1年と宣告されたとして、残された期間を一生懸…

「僕の生きる道」

この夏、「僕の生きる道」僕の生きる道 DVD-BOX (デジパック仕様セット)出版社/メーカー: ビクターエンタテインメント発売日: 2003/06/27メディア: DVD購入: 1人 クリック: 98回この商品を含むブログ (44件) を見るを嗚咽しながらみていました。で、思ったの…

ポイント

おカネ持ちが、いわゆる「ポイント」を有効に活用している、なんてハナシを聞いたことがありません。ですので、おカネ持ちになりたいのであればポイントがたまるとか、そういうことを一切気にする必要はないのです。そういうことなのです。おカネ持ちのふる…

浪費

なぜ自分はこんなに浪費するのだろう? と、かつてはずっと考えていましたし、今もたまに思います。浪費といっても、額としては大したことはないのですが。。ま、主に食事と、服飾でしょうか。それと、散歩。。 散歩そのものにはおカネはかかりませんが、い…

大器晩成

僕は、自分が「大器晩成」であると言い続けてきましたから。。 それが自身にも刷り込まれていたのかもしれません。大器晩成だからこそ(そうなってゆくか、そうなるかはこの際、おいといて)自分は早い時点でツブれることなくここまでこれたような気がします…

人生をマラソンにたとえると。。

人生をマラソンにたとえると。。先頭集団にはいたくないのです。ゴミゴミしているから。ムカシは、ゆっくり自分のペースで走れるのであればビリでもいっか、なんて思っていましたが、さすがにビリはよくないかなあ、と。。結局、「横に逸れたい」わけです。…

「やりすごす」にはパワーがいる

僕は、人生において確かにイヤなことがたくさんありましたが。。 そのたびにそれを「楽しもう」などとポジティブに考えることはなくて、とにかく何とかして感情を荒立てずにやりすごそうとしてきました。受け身なようでいてこれがもっとも効率的な手法だった…

「人生、一割以上修行」

「人生、一割以上修行」とmyメモに書きなぐっていたのですが、そのときの思いを忘れてしまい。。一日24時間のうちの1割ぐらいは「修行」のような習慣にあてるべきである、という考えだったのか。あるいはそうではなく、人生なんてものは苦しいと思って…

地球の起源(?)

地球というのは誰が設計したか? それは人間ではないことは確かです。なぜなら、人間が発生する前から地球はありましたから。地球を設計したのは生命体か? そうではないことは確かです。だって、生命体が発生する前から地球はありましたから。地球を設計し…

日本人で自殺者が多い理由

カーネギーの著書の中に書かれてあったコトバで。。 カーネギーの知人の発言の引用なので、カーネギー自身のコトバではないのですが。 「自分だけに頼る人間は容易に敗北を喫してしまうが、心に神の力をみなぎらせている人間は決して負けない」僕はこれを読…

宗教的行為はすべき

自然と、「手をあわせる」という行為。。 これはもう十分に宗教的な行為でありますが、この国においてはそれほど宗教色は濃くありません。 つまり、皆がやっているということ。手をあわせても白い目ではみられないということ。 もっとカンタンにいえば特定の…

イトイ新聞

小林薫さんと、居酒屋ごはん。糸井 一番気持ちいいことは何かな? で、掘り下げてったら気持ちいいのかなっていうときには、掘るっていうことはしてみるの。だから、全部、だからその都度スタイル全部違うんですよね。案外飽きっぽいと言ってる割には続いて…

日常と非日常

「日常が修行の場になるように、日常を変えてゆくべきである」と、最近思ったのです。そう、思いこみましょう、ということです。 人生すべてが、「修行」ではありません。それではあまりにストイックすぎます。人生における「日常」部分のみ。 とはいっても…

光の速さで。。

何かの本に、「我々は秒速30キロで進んでいるのだ」といったような表現がありました。つまりは光の速さで進んでいるのだということだと思います。 この表現が、なんとなく腑に落ちました。「進んでいる」というのはおそらく、未来に向かって、ということで…