元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

宗教的行為はすべき

自然と、「手をあわせる」という行為。。
これはもう十分に宗教的な行為でありますが、この国においてはそれほど宗教色は濃くありません。
つまり、皆がやっているということ。手をあわせても白い目ではみられないということ。
もっとカンタンにいえば特定の宗派っぽくないということです。

僕は日の出を見る習慣を続けていますが、太陽が昇ってくる神々しい風景をみると、自然と手をあわせています。
ですが別に、何かを祈っているわけでもないような。手をあわせて目をつむり、ココロの中はブランク(空白)であることが多いような気がします。
何がほしいとか家内安全とか、そういうことを別に唱えない(いや、唱えるときもありますが。。)

宗教色のハナシでいえば、手をあわせるときにあわせてナンマンダブと唱えた瞬間からこの国ではいきなり特定の宗教色が発生するわけです。

でも、何がいいたいのかというと、「自然に手をあわせる」という行為に付随して、ナンマンダブととなえようが何もとなえまいが、そのコトバはただの付録にすぎないような気がするのです。
そんなことよりまず、自然に手をあわせてみましょうよ、と。。