元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

浪費

なぜ自分はこんなに浪費するのだろう? と、かつてはずっと考えていましたし、今もたまに思います。

浪費といっても、額としては大したことはないのですが。。

ま、主に食事と、服飾でしょうか。それと、散歩。。
散歩そのものにはおカネはかかりませんが、いろんな土地に散歩にいくのでそれなりに交通費はかかります。

でも、それでは「浪費」でないカネの使い方っていったいなだろう? なんて、考えてみたりもします。

適正なモノを適正な価格で買うのであればそれでよい。
外食はそもそもウチで食べるよりは高いのだから、適正ではない。
服は、生活に必要な衣類等はすでに足りているのだから、めったに着ない服が増えてくる時点で「適正なモノ」ではない。

月に何万貯金するのが、正しいのだろう? 何を買うにせよ、生活必需品にせよ、家計を圧迫するほど買い物をするというのは、よくないのでしょう。


そもそも「買わない」(我慢する)というのは浪費の真反対にあるのでしょうね。
「買わない」人生は素晴らしいと思います。

でも。。ずっと我慢する、で、この「今」はそれでいいのだろうか? なんて考えたり。。
すごく、自分で考えていながら言い訳に聞こえる。


なんだか今日の文はぐだぐだなので、まだ考えが固まっていないのだということでしょう。