元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

宗教系

この世は極楽である(あろう)

結局この世(つまり、今のこの日本)は、極楽なのでしょうね。インフラが先にできた。 浄土宗が興ったころ、その時代の民が求めた「極楽浄土」を、現代は相当凌駕しているに違いありません。人間の、便利になりたい、豊かになりたいという欲求は恐ろしいもの…

仏教はスキルです

仏教は人生におけるスキルです。 仕事において、カネになるための技術は貪欲に学んだりしますが、その時期をすぎると、「よりよく生きる」という目標のためにもスキルが必要なのだということがわかってきます。その「よりよく生きる」ためのスキルのひとつが…

カネを拝むイコール拝金主義とは限らない

ウチの長男は、いろいろなことがわかるようになってきましたので、家にある貯金箱(のようなもの)を拝んで願い事をするように躾けています。なぜならば、コドモらぐらいの願い事であればすべてカネでカタがつくからです。「おカネはいろんなことを実現させ…

死(明るい意味での)

多生の縁 玄侑宗久対談集作者: 玄侑宗久出版社/メーカー: 文藝春秋発売日: 2004/03/24メディア: 単行本この商品を含むブログ (4件) を見る 私の心の奥底にある「儒教的ガンバリズム」の影響ではないかと私なりに思ったわけです。何と向かい合った時でも「頑…

神仏儒信じるのは神(超越的な存在)であり、現人神ではないのです。

つまり、僕にとっては釈尊ですらないのです。(釈尊は実在の人物ですから)そして、まだ深くわかってはいませんが、その「神」というのはすべての先達(亡くなった方々)の意識の集合体なのかもしれません。 「霊的」なものでもない。「霊性」というコトバが…

宗教とは思想である【宣言】

どこかの本の受け売りですが。。。・仏教とは宗教というよりは思想である。 ・よって、仏教という思想には直接入ることが可能である。寺を介する必要はないのである。また、これからはますます、仏教に在家で直接入っていく必要がある。 ということです。tha…

「完全他力」

「完全他力」そして、日々を一生懸命、悔いなく生きること。完全他力とは、「完全依存」ではありません。なんだかんだで自分が何かに「生かされている」ということを信じきるということだと解釈しています。自分が生かされているんだったら(自力ではどうし…

神仏儒

神道は暴走すると戦前の日本のようになる、というのはこの国が経験したこと。 明治ぐらいまでの日本が統治されていたのは、神道仏教儒教がほどよくブレンドされていたから。それこそまさに「日本教」なわけです。明治になり、明治政府は廃仏毀釈で仏教を脅し…

(また?)宗教心のハナシ

大事なのは、どの宗教(ブランド)を信仰するか、という選択ではなくて「宗教心」を持つことなのです。 対象となるのは神でも仏でもよいわけです。 そして、まず「宗教心」から入っていって結果として神なり仏なりを選んでゆくときに、勝手にその教義をイデ…

パンと米 危機感

パン食ですと確かに、キリスト教的ですよね。。 日本の仏教、神道といえば米。 日本が戦後、アメリカに洗脳されてパン食が浸透していったのは、おそらくキリスト教化してしまおうというアメリカの目的もあったのでしょうが。。(給食などは、強制的にやらさ…

引用 内山興正老師

生命の働き―知事清規を味わう (1972年)作者: 内山興正出版社/メーカー: 柏樹社発売日: 1972メディア: ?この商品を含むブログ (1件) を見る 発心するというのはなにか、結局、ほんとうの意味の自分の生命を大切にするということ。世間の人はまあみんな働いて…

仏教神道のハナシそのn 「カタチ」は一定ではない

逃げではなく、積極的に、ポジティブに、仏教神道の思想、教義を取り入れることです。 そうすれば歴史の浅い、ヘンな新興宗教に取り込まれずに済むのです。信仰するものがないから、ガードが甘くなり、スキをみせたところを新興宗教に取り込まれてカネをムシ…

中川宋淵老師

仏音 最後の名僧10人が語る「生きる喜び」 (朝日文庫)作者: 高瀬広居出版社/メーカー: 朝日新聞社発売日: 2004/09/17メディア: 文庫 クリック: 3回この商品を含むブログ (3件) を見る千利休はいう。 茶の湯とはただ湯をわかし茶をたてて呑むばかりなるものと…

運命

自分が何か超越的なもの(「神」ライクなもの)に生かされているのだということは、僧じゃなくとも特別な修行していなくとも、苦労していなくとも庶民の暮らしをしていても気付くことはできます。 さて、自身の運命というのは、自分ではどうにもならない、と…

塩沼亮潤さん

人生生涯小僧のこころ作者: 塩沼亮潤出版社/メーカー: 致知出版社発売日: 2008/03/10メディア: 単行本購入: 6人 クリック: 29回この商品を含むブログ (36件) を見る読んだのはだいぶ前なのでうろおぼえですが、書かれていた内容で印象に残っていたのは。。(…

宗教のいいとこどり

キリスト教や仏教、イスラム教等々、それらの思想の「いいとこどり」をして何が悪いのか!?21世紀だからこそ、「宗教学」という学問がますます重要性を帯びてきます。我々は高度に文明化された社会において、各宗教の経典(あるいはその意訳)をすべて読む…

無意識のさらに向こう側

禅も仏教も、キリスト教も、イスラム教も、新興宗教も、スピリチュアルなんとかも、チャネリングも、ヒーリングも、「こっくりさん」だって、オカルトだって、みんなみんな「無意識のさらに向こう側」と交信するための手段を模索しているにすぎません。結局…

仙人気取り

現代版の「仙人」(気取り?)っていうのは、どうもアヤしい。。計算があります。たとえば、山奥で仙人を気取っていても、いつか誰かがたずねてくるに違いない、といったような。 そういう計算。 孤独には、徹し切れない。仙人を気取っていても、テレビはし…

写経もどき

ホントは筆と墨汁でなければならないのでしょうけども。。 筆ペンと巻紙を伊東屋で買い、「写経もどき」をはじめてみます。自分が好きな漢詩や仏教語などを筆(ペン)で丁寧に書いてゆく、という作業です。 これを続けてゆきたいと思います。この日記のよう…

神という存在

神という存在は、「いる」「いない」という問題、すなわち擬人法ではなくて、「在る」んですね、 (だって、「存在」というでしょう?)「在る」ことはとても自然なことであり、その存在を擬人的にしようとするのが不自然なのです。 でも、そこが人間の限界…

ツイてる=南無阿弥陀仏

斎藤一人さんのいう「ツイてる」と、旧来仏教でいう「南無阿弥陀仏」は、結局は同じことです。 「ツイてる」とは現代版南無阿弥陀仏ということです。信心の対象は、乱暴にいえば、何でもいいのです。 (ただし、その「何でもいい」という結論に達するまでに…

毛坊主からの坊主批判 ふたたび

髪を切る(剃る、坊主にする、ぐらいの)という行為はやはり、煩悩を断ち切るという意味合いは、あると思います。髪にこだわるというのはやはりファッション。。そっち方面の煩悩につながってゆく。 でも、ムカシタモリ倶楽部でちらっと見たのですが、坊さん…

自分に「すがる」

死、あるいは宗教に近い話 自分に「すがる」 宗教ではなくて、自分が、何かしらのエキスパートになれば、自分にすがることができるのです。という意味では宗教に帰依すべきではない。宗教というのはひとつの例であって、何に対してもすがるべきではないと思…

信心の手段はなんでもいい

my格言・my座右の銘(自作自演) 子供には、田舎暮らしだけはさせたくない(20070122) こうありたいまたは反面教師 信心の手段 久々に宗教ネタ。。信心の手段はなんでもいいと思うんですけどね。。 つまり、何教であろうと。いえ、無宗教であっても、よい…

ムカシの日本

my格言・my座右の銘(自作自演) 反面教師:部屋のキャパのことも考えず物欲のままにモノを買い続け、部屋や家がモノであふれてくると、こんな狭いところにはいたくない、温泉にでもいきたい、海外旅行にでもいきたい、と。(20071027) 死、あるいは宗教…

インタフェースの向こう側

my格言・my座右の銘(自作自演) 自分は他人のために自分の命を危険にさらすことはしません。自分の命というのは、家族やごく近しいヒトだけのために投げ出されるべきものです。(20070427) 死、あるいは宗教に近い話 インタフェースの向こう側 瞑想中に…

「お告げ」

死、あるいは宗教に近い話 お告げ 仏教にはいろいろな宗派があり、かつ、いろいろな「経典」が残っているという。。 ところで「トレンディドラマ」というのがかつて、ありました。あれこそ、バブル当時、そしてその後の「戦後日本教」の「経典」ではなかった…

霊魂に対する感覚

死、あるいは宗教に近い話 霊魂に対する感覚 平安時代ぐらいまでは、ふつうに日常で霊魂との接触があって、ヒトは無造作にのたれ死に、そのへんに死体がごろごろしている(街は常に、糞尿と死の匂いで、クサい)、という状況だったらしい。 それが、なんとい…

なむあみだぶつ

死、あるいは宗教に近い話 妙好人 浅原才市 鈴木大拙が晩年、評価していた無名の「妙好人 浅原才市」の「わたしがほとけで ほとけがわたしで なむだみだぶつ」という「入り込み方」(これは「考え」のレベルを超えているのであえて「考え方」という表現はし…

「宗教をカタる」ではなく「宗教についてカタる」

死、あるいは宗教に近い話 「宗教についてカタる」 宗教とか死について平然とカタると、うさんくささを感じるヒトが多いようです。これについては正直、たまにコマっています。宗教や死についてはもっとオープンに語られていいと思うのですが。。 会話の途中…