元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

インタフェースの向こう側

my格言・my座右の銘(自作自演)

  • 自分は他人のために自分の命を危険にさらすことはしません。自分の命というのは、家族やごく近しいヒトだけのために投げ出されるべきものです。(20070427)

死、あるいは宗教に近い話

  • インタフェースの向こう側

瞑想中に、意識上に出現するイメージは、お坊さんだったら菩薩だったり、キリスト教だったらイエスであったり。。
それが、我々凡人だと、予期せぬ、ムカシちょっとだけしゃべったことのある「異性」が突然出現したりする。
その、表層的インタフェースの差異はそれほど大きな問題ではなくって、重要なのはその「向こう側」といいますか。。
いや、大きな問題かもしれないなあ。。
その「向こう側」にいる「何か」が、「誰」の身体を借りて「何を」伝えようとしているか。
なぜ、その「誰」の身体を借りているのか、は、理由はあるかもしれない。でもそれより大事なのは「何か」が「何を」伝えようとしているのかを「感じる」ことなのでしょうか。