霊魂に対する感覚
死、あるいは宗教に近い話
- 霊魂に対する感覚
平安時代ぐらいまでは、ふつうに日常で霊魂との接触があって、ヒトは無造作にのたれ死に、そのへんに死体がごろごろしている(街は常に、糞尿と死の匂いで、クサい)、という状況だったらしい。
それが、なんといいますか、「わかるなあ」と。。(皮膚感覚で)
なぜ「わかるなあ」なのかが自分でもよくわかっていませんが、おそらく、「本来そうあるべき」「そういう状況に還るべき」という思いがあるのでしょうね。
僕のキライな「昭和ノスタルジーへの憧憬」を遥かに超えて、昭和を懐かしむのであればもう、平安時代までいってしまえ、と。(オーバーな表現ですねえ。。)
でもそれは本能レベルでそう感じている、ということを意識上の「自分」が察知している、という感じですかね。
都心に暮らしているから逆にそう思うのでしょう。都心では霊魂に対する感覚というのは、極限まで鈍化してゆきますから、自分の潜在意識がそれに対して警鐘を鳴らしているのだと思われます。
山奥のヒトたちは今でも山の神をふつうに信じています。それは、ごく自然のことで、「基底」なのですね。