元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

親しい人に頼みごとをするときもお金を払えばいい

【活動】
乃木坂付近を軽く散策。あまり時間がなかったのが残念。
【面白かったこと】
面白いことはそうはない、というのはわかっていても、最近面白いことがなさすぎではないのか、と思いますが。。 とはいっても以前も書いたとおり、自分で面白いことを求めてとりに行かないのが原因ではあります。
【オレも、わたしも、と言ってもらいたい】
何かを取りにゆくために別な部屋に行ったはずなのに、行ったとたんに何をしにきたのか忘れる、ということがあります。しかも、最近増えているような。。


【「そう思ってたんだよ」】
たぶん何かの雑誌に書いてあったのですが、ふと思い出しました。
他人から相談を受けたとき、相手はすでに答えは固まっている、こちらが真剣に考えてあげていろいろ提案するのはムダ、というやつです。

他人から「相談がある」といわれて割く貴重な時間は全くの無駄です。そして、他人の悩みに対して真剣に考える労力も無駄です。
たまに「お金がない」とかいわれますし。。 他人の相談って、自分に不利益があることを「頼みにくる」という意味合いもあります。しかも多くの場合無償奉仕を要求するのです。
最初は下手に出てくるのに、相談事にのってもらった途端に態度がでかくなったりします。

この国では真面目な人ほど馬鹿を見るというはこのあたりにもあらわれているのでしょう。

ひょいひょいと引き受けてしまって損害を蒙るぐらいであれば(借金の保証人になってしまう、とか) 友人知人なんていなくともよいと思うんですよね。
自分の周りにいる人達は、礼節を知る、「人様に迷惑をかけちゃいけない」というしつけのもとに育った人だけで十分です。利益をもたらさなくともよいので。

すべてビジネスにしてしまえばいいと思うのです。要は近しい中であっても対価を払うということです。なぜこれが「いやらしい」考えなのか、わかりません。人の時間というのは、本当に貴重なものです。時間を割いて(プラス若干の苦痛を伴うこともある)何かをしてほしい、という考え、ちょっとしたお願いごとが、どれほど重大か、ということをわかっている人はあまりいないようです。

何かお願いして、対価としてご飯をおごる、というのはよく見る光景ですが、お金でいいと思います。それと、そういうときにおごる金額はたぶん安すぎます。

お金というのは人の生活を豊かにするために存在するのですから、それをお願い事の対価として渡すのがなぜいけないのでしょうか。子供には小遣いを軽く渡すのですから。