元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

エグゼクティブほどにルーティン

blog.goo.ne.jp

ルーティン「ワーク」(労働)じゃなくてね。健康的な肉体の維持のためにはルーティンワークはゼッタイ必要なわけ。

ジョグ、ウオーク、ストレッチ、ジム(のマシーン),etc。。。

全部ルーティンでしょ。日次とか週次とかの単調作業でしょすべて。

でもやるんだよ。健康促進のために。

これは、対価(健康)を得るための「労働」でなくてなんだというのだ?

あのさ労組問題となるとサヨクどもがぎゃーぎゃーと騒がしくなるんだが、自分の単調作業はどうなんだ?他人に押し付けられなければいいのか?対価が発生しなければいいのかよ。

まそれはいいや。労働がキライなヤツほど自分の健康のための労働はしてない。。よな?たぶん。だって労働そのものがキライなんだもん。であれば当然出世もままならないわね。
出世って会社組織の中だけの閉じた話じゃないよ。「世の中で」ってこと。

結局ヒニクなことにエグゼクティブとかね、人を動かす人たちの成功の要諦ってのは結局自身に課す単調のルーティンワークにかかっているというね。
ほとんどすべての作業やルーティンを、カネにまかせてまわりに丸投げしたところで、こればっかりは自分でやらにゃしょうがない。カネを積んでも最終的には他人とかキカイはアンタを健康にはしてくれない。自分でなるしかないんだよ。

つーかね。。
自分のことまでなんとかして他人に丸投げしようっていう姿勢がみえた時点でもはやその人物はオワコンというか。。いるよねそういうヤツって。

自分のことって自分でやらなきゃいけないんだよアタリマエだけど。ゲスなたとえでいえば貴族的生活をのぞんで誰かに身体を洗ってもらう生活を望み、それを実現させたならばその人間はオレは人間としてはオワリだと思うぞ。君はどう思う?

そのあたりが真のエグゼクティブになれるかどうかのリトマス試験紙になる。つまり。。「引き受ける」度量を測れるわけよ、そういうところでね。