元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

リアクションモードについて

stevengerrard.hatenablog.comリアクションモードで生きるためには、節制は前提。
だって、自分をある程度律することができないと、自分の内側から湧き上がってくる「何か」じゃなくて外部からの誘惑とかを優先しちゃうでしょ。
それじゃ「コントロールを取り戻す」になってない。
あ、外部からの「強制」もあるな…
誘惑も強制も外部要因ですけどね。律するとは外部要因をはねつけるのと同義ですよね。
自分の中に基準をつくるということです。それを優先すれば外部要因は、基本的に後回しになる(べき)。
ということは、外部要因に翻弄されないような環境づくりも必要ですよね。それも「律する」の一側面です。

以前健康編で書いた便の話なんですけどね(いきなり)。
便というのはまさに「自分の内側から湧き上がってくる何か」であり、排せつっていうのは実は人間の営みで最優先されなきゃいけないものなのです。
と、健康編では力説しました(苦笑)
快便を中心に自分の人生を回す。
常に快便つまり適切に自分の身体から毒素(的なもの、etc)を排出するにはどうしたらよいか。
便は超越的な営みなので、人間がコントロールしようと思ってはいけない。
これって、人間ってガマンできちゃうんですよね。
でもね、便(超越的ないとなみ)をガマンするって、人間の傲慢な行為なんですよ(笑)
快便のためには食事に気をつけなければならず、運動もしなきゃいけないし、トイレにもロクに立てないブラック企業にいちゃいかんでしょw
そして大事なのは便意に私淑するということ。便意には盲従すること。
100%実践できなくともそういう気持ちでいること。
便意の向こうに神(的な超越的なもの)をみる。
みれる。
リアクションモードとはまさにこれ。リアクションモードで生きるためのいちばんとっつきやすい訓練ですよ。
衝動に従うこと、熱中する対象に素直に熱中すること。
衝動の向こうに神をみる。
ただし節制のベースがない人にとっては、衝動の向こうにあるのは「破滅」。
つまりdevilです。同じ神でもね。
リアクションモードはとてもラクなんです。だからおすすめしてます。