元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

星一徹気取りの親にはなるまい

星一徹気取りの親にはなるまい>

長男が小さい頃まではふつーの父親よろしく何に向いてるのかなーとか考えながらスポーツだのなんだの、いろいろ教えることをしていたが途中でぴたっとやめた
なんか、何教えてても途中で「そんなこともわからないのか」口調になっていく自分がいる
それがいやだった
自分は、星一徹気取りでけっこう快感なのだが子供にしてみりゃたまったもんじゃないよね
教えるのはそれのプロかセミプロにまかせるのがいちばん
親の仕事は見守ること。
そして、可能性と選択肢はほぼ無限にあるのだということを教えること。
可能性を探ってたとえば複数の習い事をさせて悦に入ってる親は多いが、それはその複数の習い事に子供の可能性を限定してるってこと。

 

<子供にほぼスパルタをしなかったよ>
子供にほぼスパルタをしなかったってのは力説したいね。
スパルタの定義は、「なんでこんなことできねーんだ!」みたいなことをいっちゃうってこと。
そして子供はそれに対してやる気を示してない状態
やる気ないのに親がやらせたいからやらせるという押しつけ状態
「息子とのキャッチボール」ってやつも、ほとんどやったことない。
長男が小学校に上がるぐらいまでは俺もまだわかってなくて、ふつーに父親やってたから(笑)
キャッチボールもやった記憶あるんだけど、俺すぐ上に書いたみたいな
なんでまっすぐこっちに投げられないんだよ、こんなに丁寧に教えてんのに!
とか思い始めちゃうわけさ。いや違うな。こんなに丁寧に教えて「やってんのに」という考え方。
俺、自分がそういう考え方になっていることにものすごい嫌悪感があってさ。。。
だから辞めたんだよ。自分がイヤになってくるから。
で次男からは一切やってない。
ただし、球技をやってないだけで、たとえば一緒にサイクリングに行くとかはしてるんだよ。
球技じゃなくともサイクリングで遠出すると相当な身体への負荷はあるぜ。
父子のコミュニケーションは、他の家庭よりはあるわそりゃ。だって俺が家大好きだもん。
子供が球技をやりたがったら、指導は指導者に任せると。それだけの話。