元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

洗脳と愚民(2)


洗脳と愚民(2)|(改題)ひとり公論

何がいいたいかというと、このギョーカイに棲息するヒトたちは、次の時代の庶民になれる(いや、なっている)ということ。

「庶民のセンタン」をいってるじゃない。メカのユーザインタフェースに親和性があり、アーキテクチャの概論を語ることができ、TCP/IPの黎明期からこの時代を感じてきた。。(そして1.44のモデムをみなさん、使っていたでしょ?)
あのへっぽこなwin3.1(あるいはNT3.5.1)をやすやすと使いこなしてきたじゃない。DOS窓が出てきても決してビビらず、そして未だにUNIXとか、CUIを使いこなすことがカッコ良いと判断されるこのギョーカイ。。


ところが! 庶民のセンタンということは、消費行動も庶民のセンタンをいくわけだね。。

新製品が出たらとりあえず買っとけ! と。

あいも変わらずマスコミとその後ろにいる勢力の思うがまま。。


これって、なぜなんだろう?

僕の仮説ではね、情報リテラシーとやらを持っていれば、たとえばマスコミのプロパガンダをブロックして、「宣伝されてるから買っとこう」じゃなくて、自分のホントウに好きなモノを買うようになる、はず。

でも21世紀初頭の今のニッポンは違うよね。情報リテラシーを持てばもつほど、「お上」に従順な消費行動をとる。つまり、率先して、最大公約数的な商品を買う。

そこで大事になってくるのが、「いつ」買うかということ。
庶民よりちょっとリテラシーを持ってるヤツは、早く早く買おうとする。そこで差別化をはかろうとする。

早く早く買おうとするということは、売りつける側のいいようにやられているということだ。

だって、商品っていうのは、必ずあとで安くなるんだから。



ここで書いている「情報リテラシー」の「情報」ですら、マスコミがばらまくプロパガンダなんだよね。僕らはどこまでもどこまでもマスコミから逃れることができない。

今、「情報リテラシーを持ちましょう!」とか賢い消費者になりましょう! みたいなことを叫んでるヤツらは、愚民よりももっとアヤしい。それは、「従順に、お上がばらまく情報を吸収しましょう!」といってるのと同じだ。


それじゃあ、何も意味はない。

で、結局僕が考えたのは、情報を遮断することこそ真の情報リテラシーじゃないのかなあ、ということ。
これは、僕だけじゃなくてたくさんのヒトが考えてるんだけど、実践してんのは案外少ないんだよ。

だってさ、このTOKYOで情報を遮断にかかると「国賊!」扱いに近いからね。(ホントだよ)