元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

どっちがエラいか?(なんてあるのか?)

どっちがエラいか?(なんてあるのか?)

新年、だらだらと「考える人」を読んでいたら、僕の「違和感アンテナ」にひっかかった箇所があったので、それについてさらにだらだらと考えてみた。

この雑誌で、昨今マスコミへの露出がハゲしい茂木健一郎という方が連載している。その一部抜粋

最近で言えば、「インターネット」に対する期待は、通り過ぎてしまえばバブルの側面があったのかもしれない。確かに、インターネットは無限の未来を保証しているように見えた。その中には新しい経済が定義され、様々な活動が生まれ、人々に新たな精気漲る生活領域を提供するかに思えた。
インターネットに対する過大な期待が、一つの「バブル」だったなどとは、私たちは未だに認識していないのかもしれない。しかし気付いてみればインターネットがあるからと言って私たちは生きていけるわけではない。生物としての基本的な実存の条件から見れば、それは夢や霞のようなもの。食料自給率四十パーセントの日本は、外国からの食糧の輸入が止まってしまえばおしまいである。ネット上でちょっと気の利いたアプリを開発して何かを成し遂げた気になっている若者と、大地にへばりついて食べものを作っている人の一体どちらが偉いのか。
むろん、インターネットは私たちの文明生活の中で重要な意味を持ち続けるだろう。しかし、インターネットが私たちの生の問題の全てを解決する「魔法の薬」だなどと信じている人たちは、時が経つほどに減ってゆくだろう。私たちは、やがては冷静にならなければならない。その一方で、文明が一度はインターネットの中にありったけの熱意と希望を吹き込んだことを、とても人間らしく、若々しいことだとも思う。


 
というくだりを読んで、いろいろと考えてしまった。

まずやっぱ引っかかるのは「一体どちらが偉いのか」ってところ。
オイオイ、いわれちゃったよオイ、と。僕はアプリ開発者じゃないけど、僕に対していわれたような気がした、読んだときは。

「どちらが偉いのか」とかいって結局、僕ら(このギョーカイに生きる我々)のほうが「偉くない」って言い切ってるでしょ。

そもそもなんで農業従事者のほうが、エンジニアより偉いわけ?

 
で、この茂木さんっていうタレント兼ガクシャはそれどころか、エンジニアよりも農業従事者よりもガクシャのほうがエラいと思ってんだろうけど。。(そして、もっと上にくるのが「タレント活動を行うガクシャ」)

そもそも、「職業に貴賎はあるのか?」という古来からいわれてきた議論だよね。職業に対して「偉い/偉くない」なんて棲み分けがあんのかよ、と。

 
なんで、僕が棲息するこのギョーカイで、精一杯夢を追ってるヤツらが、農業従事者やタレント兼ガクシャに対して自分を卑下したり、罪悪感を持ちながら仕事しなきゃならないのか?
そんな必要はまったくない。

(もうちょっと感情をセーブして、書かなければ)

 
ガクシャがインターネットについて語るとまァ、こんな「薄い」感じになったりするのだろう、というひとつの例。
そして、このギョーカイのビジネス・シーンにおけるヒエラルキーなんてこんなもん、というのが如実にわかる文章なのであった。

 
 
ここから派生して、いくつか考えたのは―

ちょっとハナシはズレるけど、農業じゃなくって漁業従事者ってのもいるわけね、世の中には。
漁業ってのはだいぶ、「狩猟」の要素が強い。

つまり、あのヒトたちは博打打ちなわけね、人生が。
一発当たれば一攫千金、時化がくりゃおまんまの食い上げ。(極端にいえば、ね)

だから海の男ってのは荒くれもんだよ、ムカシも今も。宵越しのカネを持つのは、あのヒトたちには似合わない。

でも、漁業だって農業だって、食べ物を僕らに提供してくれるという点では、同じだろう。

さて、それでは農業従事者と漁業とエンジニアと、どれがエラいのか?
(と、あえて愚問を呈してみる)

 
ガクシャにいわせたらあくまで第一次産業のほうがエラいに違いないと言い張るんだろうが、たとえ立派に仕事していようが、博徒崩れははたしてエラいのか? と、このギョーカイのさらに最底辺層に棲息してきた僕は考える。

僕ら庶民に食料を供給してくれる尊い職業に従事しているからといって、宵越しのカネを持たず、夜盛り場で暴れまわるようなオトナ、人の親が果たしてホントにエラいのか?

答えは自明だろう。
エラいかどうかっていうのは職業がどうこうじゃないんだってこと。

「他人に恥じることのない生活を送っているか?」というひとことに尽きる。

 
それと、最近、農業従事者を必要以上に崇める風潮がね、あるような気がする。
「エコ」とか「アース」といかそういう思想に紛れて、「土」を扱える農業従事者を必要以上に崇高なものと考えてしまうような。。(この風潮は非常にアヤしい)

これについてはまた機会があったら書こう。

農業だって立派なビジネスだし、相当博打の要素が入っている。

 
 
で、別の日記に書いたことでもあるんだけどね、
戦後ってのは、都市が地方に対して逆襲をかけていった時代だと思う。

今、東京への一極集中とかいわれてるけど、地方はまったくといっていいほど独自色を生み出せないでいる。地方の若者は今もムカシも、東京へ憧れる。ということは、今もムカシも、地方ってのは(東京と比較して)つまらない土地なのだ。

なぜここまで集中してしまったか?
それはね、戦中~戦後の怨念、恨みを、都市が地方に対して晴らし続けているからだ。

戦中は、都会っ子は田舎に疎開した。そして疎開先では皆、イジメられた。

戦後、都会の人間は食料を求めて田舎へ買出しへ出かけた。田舎では農家に足元を見られ、法外な値段を要求され。。
カネはないから、大事な反物、嫁入り道具、貴金属などをみんな食料に変えてきて、飢えをしのいだ。

小さい頃にイジメられた恨み、そして食べ物の恨みというのはオソロしいもんだと思う。

田舎はいつまでもいつまでも根に持たれ続けた。

僕はよーく知っているけれども、地方の社会ってのは決して牧歌的なわけじゃなくて、地方独特の陰湿さというものが、ある。
それは都会とは相容れない。

そして田舎は、高度成長期以降、第一次、第二次産業だけでは立ちゆかなくなってしまい、さらに、若者がますます都会へ流出するようになってしまい、ヒニクにも都市のまねごとをせざるを得なくなってしまった。

 
さて。。
今栄華を極めているように見える「都市」だけど、典型的な都市型産業なのが、このギョーカイ。

ちょっと前までは、ネットが発達したら勤務地は選ばないとか、SOHOだのなんだのいわれてて、だったらエンジニアは田舎に引っ込めばいいのにそうならない。

それはなぜか?
都市型の産業ってのは結局、その産業に従事する人間のタイプが、都市型(都市好き)だってことだよ。
それは、その産業に従事する年齢層が若いっていうことでもある。(年寄りだと田舎に引っ込みたがるからな。。)
ある程度若くなきゃ、やってけないっていうのも、なくはない。

僕らは、典型的な都市型産業、都市型人間だから、よく標的にされるんだろうな。
デフォルトで第一次産業よりもヒエラルキーを下に設定され。。

士農工商の江戸時代と何ら変わらない。