元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

原始的な欲求の実現

原始的な欲求の実現

お腹が空いたときに何か、大好きではないけどふつうにキライではなく、かつ栄養のあるものを即座に食べれるという幸せ。。

トイレもそうですよ。「もよおす」即トイレに行ける幸せ。これは、実はアタリマエのことではない、のではないか、と。


何かを欲したときに、No.1ではないけどNo.2~3ぐらいのことがかなう。それを繰り返していけば必然的に幸せになれますよ。

だから、まず、ちいさな欲求に対して、意識的に、実現させていけばいいのです。

そして、もっとも実現できやすい「根源的欲求」から始める。そして、小さな小さな幸せをつかんでゆく。

寒いときにはコートをはおって暖かくなればよい。ただし、そこで意識して「コートがあることの幸せ」を感じるクセをつける。

常にNo.1を求めるのは、ムリです。仮に常にNo.1が実現されたとしても、飽きるのでしょうし、それが「ぜいたく」なのです。「それ」というよりはそれを求めるプロセスそのものが。

お腹が空いたら何か食べる(腹7分目)を繰り返していたら、お腹が空いたときというのははっきりいって何でもいいわけですよね、明確にキライでなければ。

よけいな「あれがいい、これがいい」という欲求がなくなるわけです。

指定で、「○○(店名)のみそラーメンが食べたい!」とか、思うときもありますけどねえ。。

それを実現させてゆくのは、「ぜいたく」なのでしょうね。値段は関係なく。