元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

自分も内製化しなよ

自分も内製化しなよ(ブログ移行) - シニアICT土方の【IT公論】

最近よく聞く、「内製化」について。

 
内製とはつまり、昼、ランチ外食せずに弁当を持ってきたり、ペットボトルを買わずに朝お茶を入れてポットでもってきたり、おやつにコンビニでスナックを買わずにこれも家から持ち込んだり、とか、たとえればそういうことだ。

そういう、なんでも持ち込む姿勢というのは、今の御時世、僕はすごく「豊か」な行為だと思っている。
ムダにちょろちょろとカネを使うよりも。

内製化を進めなければならない、とか、ほざいてるヒトたち(たとえば、いろいろな会社の「情報システム部部長殿」とか)がいるけど、まず自分がそうなりなよってハナシ。

「そうなりなよ」っていうのは、内製という行為を「豊か」であると思えるように、早くおなりなさいな、ということ。

「内製」っていう言葉をさ、「ケチる」と同義で使ってんだよね、いまだに。
その考え方が、貧しいよねえ。。精神的に。

 
そういうヒトたちは、たとえば手弁当を持ち込むことを「豊か」であるとは決して思えないのだろう。昼はぱーっと外で1000円強のランチを豪勢に食べたいなあ、とかいつも思っているのだろう。
つまり、家族がつくってくれる手弁当(栄養面でも考慮してくれている)を、ただ単にコストがかからない「安い」ものと判断し、コストがそれなりにかかる (そしてさらに、栄養面でも偏っている)外食のほうをコストがかかるという一面だけで「豊か」であると感じてしまうのだろう。

栄養が偏っていたり、添加物が含まれていたり、そういう「豪勢な」食事をすることが、果たしてこの現代社会で豊かであるといえるのだろうか?

  
そもそも、前時代的サラリーマンの考え方からの脱却が必要なのだ。

 
 
不況になったから、じゃあどうしようかとあたふたする。マスコミに踊らされる。その結果、いろいろなところをケチって、精神的にも貧しくなる。職場の雰囲気も悪くなる。
コスト削減に達成感がない。削減すればするほど仕事がつまらなくなってゆく。

すべて、対処療法である。リアクティブ、受け身、僕らフリーのエンジニアがいつも上からいわれている「受け身体質!」をそのまま体現している。

 
このギョーカイは、上が受け身体質だから下も受け身なのだ。ギョーカイ自体が受け身体質なのだ。そんなことは、いちいち言わなくとも皆知っているのだと思っていたのだが。。
「上」が、自分たちこそが「受け身体質!」の権化であることに気付いていない。そのくせ、下には主体的に動くことを押し付ける。

 
 
ひとムカシ前、「アウトソーシング!」が流行ったときは、すぐにそれに飛びつき。。
アウトソーシングって、たとえれば、2LDKのマンションでつつましく暮らしていた家族がカッコつけて、流行ってるからっていう理由だけで大金払ってメイドさん雇っちゃった、みたいな。。

カネ持ちぶって、「楽したい」「つまんない仕事は下請け! 自分たちはクリエイティブ!」といったような「本性」をあらわにして。

そして、大金払ってアウトソーシングして、何に気付いたかといえば、単調労働を下請けしても、自分たちはクリエイティブ集団にはなれないのだという事実。。

自分たちの組織の「質」に真正面から向き合っていないから。。
まず、自分たちがボンクラ集団なのだということを自覚するところから始まっていないから。

ボンクラ集団が、楽したいからっていう理由で単調労働まで手放しちゃったら、ますます堕落するだけだ。

 
ちなみにボンクラっていうのは、僕の中ではどちらかというとホメ言葉なんだけど。。「システム屋」とほぼ同義。「愛すべき」システム屋ってとこかな。 

 
 
内製内製ウルサいヒトたちは早く、ムカシはよかった、アウトソーシングの精神は間違っていた、って、自分たちの非を認めたほうがいい。

さらにムカシ、情報システム部門っていうのは、自分たちで開発も運用もぜんぶ、やっていた。そして、情報システム部門というのは企業の中のブラックボックスで、開かれていなかった。
なんだかヘンな集団だった。ビジネスビジネスしていない集団だったから、経営層からキラわれた。

その時代のほうが実は正しかった、と、認めたほうがいい。

 
企業組織が、自分たちで(IT)スキルを保有するべきか否か、という議論になったときに、保有しておいたほうがいいに決まってんじゃん、という方向へ、世の中が振れつつあることを感じている。
ひとムカシ前は間違いなく、逆だった。スキルは手放すべきだ、と。(「IT」のスキルなんざ!)