元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

Logues その5

ニュースの深層evolution:「恐山の禅僧」に日本社会の現代を問う

南(直哉):
大きな誤解はね……自殺願望の人は死にたいんじゃないんです。生きるのが嫌なんです。全然違うわけですよ、死にたいっていうことと。「生きているのが嫌なんだ」って何度も言っていました。「僕は死にたいんじゃない。生きているのが嫌なんだ」っていうこの違いが分かるか分かんないかで、彼の話が続くか続かないかが決まるでしょう。と私は思う。そうすると、「生きるのが嫌なんだ」って言う人に、「いや、こういう生き方もあり得るよ」と言って、さらに生きる気持ちを持ってもらうように何とかするのがやっぱり宗教家の務め……というか大人の務めだと思うんですよ。

(略)
先見て歩いてるときに歩いてることを実感します? 歩いてることを実感するときはいつだと思いますか? 散歩ですよ。散歩って目的地ありますか? 無いじゃないですか。だから、――話は禅じゃないですが――損得とか、利益を上げるとか、取引とか、これがおそらく今の人間の社会関係の枠組みを決めてるんですよ。しかしこれはどこかでときどき解除しないとだめないんです。ずっと解除する必要はないです。しかしときどき解除して、「こういう生き方を自分はしてるんだ」と。「いま修正のし時かどうか」ってことをちょっとは考える時間なり場所を作るべきですよ。