元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「私は普段自分が絞めた以外のお肉は食べません」

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とにかく、考えてみるに値するブログ
「生きることは、もっと生々しいことだと思っています。」

「私は普段自分が絞めた以外のお肉は食べません」

(以下、すべて引用)
私が笑顔でうさぎを持っているということで「この子は狂ってる」「命を軽んじてる」と言われることがあります。

でも。魚を釣って笑顔で写真を撮る人がこんなに批判されることってあまり聞いたことがないです。本質的には同じなのに。

それもやっぱり、みんなが持っている「命の区切り」が違うからじゃないかなと思っています。

でも、自然と繋がる機会もなく、うさぎが「ペット」として認識されている今の時代、私が笑顔でうさぎを狩っている姿に狂気を感じるのは無理もないと思います。

なのでここで、改めてみなさんにお伝えしたいと思います。

私が狩りや解体などのいろんな場所で笑顔なのは、山菜を採る、魚を釣るのと同じように「自分で獲った美味しいものが食べられるという喜び」であり、「動物を殺すことそのものや、動物を苦しめること」に快楽を感じているわけではありません。

まだ経験が浅いので、自分の力で動物をしとめた達成感よりは、怖さの方が大きいですが…。

それでも、この笑顔を「殺すこと自体に快楽を感じる異常者」と誤解されることは悲しいことです。私が笑顔でいることに対して、こう感じている人が多かったのには驚きました。

ブログや写真では伝わりづらいかもしれませんが、現場の私は意外といっぱいいっぱいですよ〜。楽しむというよりは、まだまだ目の前のことをこなして吸収していくことで精一杯です。笑

そもそも、動物を殺す事とご飯を食べる事は繋がっています。
殺して、さばいて、料理して食卓に出てくる。
どこかで区切れるものではありません。

笑うことが命を軽んじている事になるのであれば、その繋がりのどの場面でも神妙に、悲しい顔をしなくてはいけません。毎日懺悔しながらご飯を食べるなんて、食べることが大好きな私にしてみたら辛く悲しいことです。
(でも、猟をしていると懺悔したくなるときもあります。)

だから、何かの命を奪うことを罪として生きていくよりは、自分が何かの命なしには生きていけないこと認めて、感謝して、自分の手で絞めたものを食べる。
そいういう身の丈にあった暮らしをする事が、命に対して誠実な生き方なんじゃないかと思っています。

少なくとも、私はそう思っていて、そういう暮らしを実践しています。
(私は普段自分が絞めた以外のお肉は食べません)

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こうして動物を殺すことを、表に出すべきことじゃないという人もいます。
そういう考えもあると思います。
わざわざ動物を殺すところを見たいなんて人も、そんなにいないと思いますし。

それでも。
それにしても、隠されすぎてると思うんです。あんまりにも。

食べものが食卓にやってくる過程が見えなすぎるから、その先が想像できなくて、食事に感謝できなかったり、食糧を無駄にしたりすることが普通になっていて。

だからこそ、包み隠さず伝えたいという気持ちが強いのかもしれません。
オブラートに包むような表現をするのも、あんまりしたくありません。
だってこれが事実だから。

生きることは、もっと生々しいことだと思っています。