元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

 麻布高校 「一見気が強そうなヒト」

本来の日記部分

  • 体調

本調子でないまでも、仕事で軽く汗をかき復活。仕事で復活するというのがワーカホリック。。

一人で勝手に「快気祝」。スタンドで独り生ビール立ち飲み。(実際は椅子アリ)
安っぽいつまみが最高においしい。

夢は、ホントに、メモ帳を常に枕のわきにおいて、起きた瞬間に書き出すクセをつけないとダメですね。。
起きて5分後であっても忘れてしまっています。
何かしらの夢を見たことは確かなのですが。。



「世代間」の話

ごくごく一部で盛り上がっている今年の麻布高校の不祥事の件。。運動会(? 体育祭?)実行委員会の飲酒問題で、結局運動会実施をとりやめたという。。

飲酒なんてどこの高校生もやってんじゃん、と思っていたのですが、実は去年も同じように飲酒の問題があって、それでも去年(まで)は運動会を開催したから、いいかげん生徒も付け上がってるのではないか、と。(だから、今年はついに開催が自粛されたと。。)

そして、ハナシがおおごとになった原因は、12人が問題を起こした(六本木のカラオケ屋に朝までいた)という報告を学校側にしたそうですが、実はひとり足りなかったことが判明。そのひとりがこともあろうに実行委員長であった、と。(なぜ隠したのか? という問題)

まあ、おおよそそういうハナシなのですが。。

私は、遠い知り合いのお子さんが麻布中に通っていますが、それぐらいの関係しかありません。また、東京、ひいては全国でも有数の進学校であり、著名人を多数輩出していることぐらいは知っています。(現・総理大臣とか)
ですから、こういう進学校で不祥事が起こると、目立ちますね。

そして、元麻布や盛岡町交番のあたりをよく自転車で通りますので、麻布中高の生徒はよく見かけます。私服ですがすぐわかりますよね。


そういう薄い関係なのですが、今回の不祥事についていろいろと考えてしまいました。港区民として、子供を持つ親として。。(? そんな大げさではない?)

何を考えたかといえば、ものすごく否定的なことですね。
まず、生徒らしきヒトのブログを読んだのですが、体制、つまり先生に対し「もっと教育してくれ」ということを、書いています。つまり、放置プレイすんなよ、と。。

ナニをいまさら。。
麻布はリベラリズム(? というコトバが適切かどうかわかりませんが)ですから、行事のほとんどは生徒主体で行い、先生はアドバイザーに徹するそうです。
服装は完全自由。飲酒喫煙も実質自由。

そういう長い伝統がある(そして、そうやってうまく関係を保ちながらやってきた)にも関わらず、一部の生徒からは「いいかげん放置プレイはやめてくれ 管理してくれ」という叫びが出てきている。。

なんだか複雑な感情を持ちました。きわめて否定的な。。


それにしても、なぜ表面化したのでしょうね? そして、なぜあえて、事を大きくしたのか。
皆が目をつぶればなんとかやりすごせたはずですが。。(そしてかの高校は、かつては皆が互いの不祥事を目をつぶることによりうまくいっていたはず)
そうもいかない事情があったのでしょう。

朝帰りしている同じ学校の生徒を見かけたのだとしても、暗黙の了解で黙っとくものでしょう、ふつうは。
近隣からのタレコミでしょうか?


もうひとつ、否定的な感情を持った根拠というのは。。
かの高校ではムカシ、学生運動華やかりし頃、高校生のくせに「学費値上げ反対!」と運動をやったそうで。。

そのカネは誰が払ってんだよ、というハナシですよね。庇護されているモラトリアムが反対運動してどうするんだよ、と。

そういう遺伝子が脈々と受け継がれているのだろうなあ、と、感じた次第。
「あらまあ、マセていらっしゃるのね。。」というヒニクもいいたくなるような。


生徒間の怒りの「向き方」はわかるのです。一般生徒は、毎年不祥事を起こしている「実行委員会」に対して、怒っている。その勇み足に、怒っている。

その怒りは、実は自分勝手ではあるのですが。。(飲酒は、どの生徒もやっているでしょうから)
「委員会」という立場(「要職」?)にありながら派手に問題を起こすな、ということでしょうね。

我々「庶民の総体」が政治家の不祥事に対して勝手に怒っているのと、まったく同じ構図。。


まァ一般的に運動会は文化祭よりは盛り上がりませんが。。その運動会を楽しみにしていた生徒が少なくとも何十人、何百人かはいるわけで、その不祥事により大げさにいえば最大何百人かの人生に影響を及ぼしているわけです。
それを、「運動会実施を自粛することにより責任をとることにします すみません」で勝手にハナシを収束させてるのはいかがなものか、と。。

他の生徒に迷惑をかけたのだということその怨念を思い知れ、というところからくる、怒りですね。


もう少しこの否定的な感情、違和感の奥底を分析できたら、続けます。
んー、結局「若さ」がうらやましいのだろうか? 進学校の生徒が自由にやっていることが単にうらやましいのだろうか?
。。いや、自分の感情の底にあるのはそういうことではないような気がしています。

こうありたいまたは反面教師

  • 「直感」のモロさ

自分の「直感を信じる」ヒトほど、初対面の相手を即座に「キライ」とまず決め付け、(フシギなことに、即座に「スキ」はほとんどない)「アイツキライ!」と周りに吹聴しますね。

それが、しばらくすると徐々に「やっぱイイヤツ」という評価になぜか変わってきて、飲みの席で直接本人に「オマエのこと最初はキライだった」と言い放って収束する。

最初に「直感」で「キライ」とうかつに言い放つヒトほど、その見解は途中で覆ります。なぜなら、実質何ら根拠がないからです。


「直感」とやらを信じるのは勝手ですが、ほとんどハナシすらしたことのない人間を即座に「キライ」と断定する「直感」っていうのは何だろうか?
それは単なる無礼ですよね。

さらに、まるでナワバリ争いであるかのように、自分の「アイツキライ」という判断を周囲に吹聴する。(吼える)
そこに何の意味があるのか? と考えたりもします。
いずれ、その評価は覆るのに。。


ところで、そういうタイプの人間の特徴が、最近わかったのです。
「一見気が強そうなヒト」です。