元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「ミドルのあたり」 節約 

本来の日記部分

  • 体調

ハナミズは引きました。

  • 仕事

久々の自転車通勤。と、前も書いたような気がしますが。。

天気が良いと行きは爽快なのですが、帰りがキツいですね。。
帰り道、疲れてくるというよりは、アタマがぼーっとしてくる、という表現がぴったりです。自転車をこぎながら意識がぼーっとするのはコワいです。

人生観、のような、思想の話

  • 「ミドルのあたり」(?)が変わり続ける

「庶民の総体」の表層の趣味とか、「凝っていること」とか、笑ってしまうぐらいコロッコロと変わっていきますよね。。そのへんは、マスコミの洗脳の思うがままになっています。
最近は、なんでそこまで追随するんだ、というぐらい変節していくので、キモチが悪いぐらいですが。。


私は、表層部分はマスコミの影響を幸いほとんど受けていないので、ほとんど変わりません。が、ゆったりと、時代の「大局」にあわせて変わっていっているはずです。
マスコミの影響を受けていないとはいえ、時代の「大局」とマスコミのプロパガンダとは、無関係ではないので、たまにリンクすることもあるのでしょう。そのときだけは「日和った」などといわれてしまいますが。。 日和るも何も、トレンドを知らないのですから。。

先日も、いろいろ検討した結果として生保関係の契約の見直しをしよう! と決断したときも、世間では生保会社の未払い問題が噴出していて解約が続出しているというのは、まったく知りませんでした。が、時期的には完全に重なりました。「オマエもか」みたいなことを言われて初めて気付きましたが、いっしょくたにされてしまったのは、いい気分ではありませんでしたね。
そういうことも、あります。


人間の性格というか本質というか、そういう表層部分と、根幹部分(変わらない部分)との間に、もう一層あるような気がしています。私はその「ミドル」(?)のあたりを、意識的に変化させようとします。それは、かつては無意識でしたが今は意識的です。
なぜかというと、自身に飽きてしまうからなんですね。
飽きてしまうとおそらく逃避したくなります。だから、たえずその「ミドル」のところは流動的にしておきたい。
自分は宗教と思想について考えるようになったのも、それは表層的なトレンドの話ではありません。が、自分の根幹が揺らぐようなことでもない。だから「ミドル」。

「庶民の総体」はその「ミドル」を変えようとしないから逃避に走るのではないですかね。表層の部分を受動的に変えてゆくのに精一杯で。。 それもマスコミの思うツボですけど。。

たとえば、ひんぱんに旅行に行く、というのは、強制的に外的環境を変えないと、自分を変化させることができないのでしょうね。
どこに旅行に行くのか、というのも完全にトレンドに乗ってしまっていますが。。 旅行産業にとっては良いお客さん(あるいは、「カモ」ともいう)ですね。「トレンドスポット」を意識的に企画して大々的に宣伝に乗せれば、今の日本人はそこに殺到してしまうのですから。。


そういうふうにコロッコロと趣味なり、凝っていることなりが変わっていっているのであれば、ふつうに考えたら楽しそうな人生ではありませんか? どんどん経験豊富になってゆくわけですから。

でも、そうではない。ほとんどの「庶民の総体」は、生活に不満を持っている。そしてその理由が、マスコミの思うがままに操られているからだ、ということに、気付いていない。。

前に書きましたが、マスコミ(特にテレビ)に対してシニカルな態度をとることによって、自分はマスコミの謀略にはとっくに気付いている、逆にマスコミを利用している、ぐらいに思ってますからね。。
それも含めすべて思うツボ。。

マスコミ主導である意味「経験豊富」になってゆくことで人生に満足を得られないのであれば、やめてみることです。それ(自分が「人生」に満足していないという事実)を自覚できるかどうかがポイントです。

こうありたいまたは反面教師

  • 節約

「買わない」つまりお金を使わない、というのは、消極的行為なわけですから、それを別に声高に言う必要はないのです。
この点で私は、世間の「おばちゃん」たちを反面教師にせざるをえない。彼女らは誇らしげに、安売りで買ったとか高いから買わなかったとか、そのヒトのアイデンティティの証明として「言わざるを得ない」のです。

私は幸いにも主婦ではないので、アイデンティティを証明する必要はないので、黙っていればいいのです。
安い買い物をしたことを別に誇らなくともよい。それは当然の行為なのですから。

それにしてもなぜ「したり顔」になるんでしょうかね。。「店員にマケさせた」とか言うときって。。