元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「新庶民」の由来

「新庶民」の由来
この日記に[新庶民]論とつけている理由というか事情といいますか。。

[新庶民]とは

自分で自分に「課」を課すことにより進化を続け、自ら旧来の意味での「庶民」との差異化をはかれる新しいタイプの庶民。

[新庶民]とは、庶民を逸脱するということではないのです。

ひとむかし前に流行った、そのころの若い世代が叫んでいた「オレは世の中の歯車にはなりたくない」という考え方は、庶民から逸脱して、もっと高いところに身をおきたい、という意味での選民意識でした。

[新庶民]とはそれと比べ、横に逸れるということです。

現代社会における「庶民」というのは、マスコミが垂れ流す情報を口をあんぐりと空けて飲まされています。飲んでも飲んでも、吐きそうになっても、なぜか口をあんぐりと空け続けることをやめはしません。
庶民でいる限りはやめられないのです。

マスコミが垂れ流す情報というのは、最近は「濁流」になってきていますが、それを薄々感じているのに、飲み続けることをやめない。おいしくないのに。身体に悪いのに。

その「濁流」のせいで日本人は少しずつ体調不良をおこしています。

ソフトに洗脳されているのです。そして、ソフトな奴隷状態。

マスコミは責任をとろうとしません。「口を空けて待ってるのはオマエらだろう」と。

ウラでは巧妙に、口を空けさす洗脳手段を講じているクセに。。

それが、「宣伝」です。

[新庶民]のもっとも大事な「課」とは、まずマスコミに対して無防備に口をあんぐり空けて従順な姿勢を見せることに「No!」をとなえることです。

かつては、それは確かに「栄養」の一種でした。だから、庶民は競って口を空けて飲もうとしていました。

何せ、タダですから。。

そのうちに、その「栄養」の中に、口をとじることをできなくする麻酔薬のようなものを入れた輩がいます。

そして、口をとじることをできなくさせといてから、少しずつ栄養のないもの、ムダなもの、おいしくないものを混入させてきました。

この洗脳を解くためにはどうすればよいか。。

それは、栄養補給先を変えることです。変えるという決断を下すことです。

マスコミという強大な勢力に対し、芥子粒のようなこちらから引導を渡さなければなりません。

これはなかなか、キツい作業ではあります。

そして、マスコミの洗脳が解けた時点で、自分の人生を自分で設計すること。

そして次に、自分の人生をよりよきものにするために逆にマスコミを利用する姿勢に転換してゆくこと。

マスコミとは一種の嗜好品といえます。たくさんの選択肢の中のひとつの嗜好品にすぎないのです。