信仰と批評
死、あるいは宗教に近い話
- 信仰と批評
ロック・バンド崇拝とロック批評、浄土真宗と親鸞研究、日蓮宗各派(某学会含む)の折伏と、それに対するマスコミの批判。。 それぞれ、似た構図です。
ロックを批評する評論家は、ロック・バンド「崇拝」には(とてもじゃないけど)入っていけない。だから批評する側にまわるのです。
ただし「批判」ではなく「批評」なのです。良かったらホメる。
教祖サマ(ロック・バンド)と崇拝者(熱烈なファン)、それと評論家の関係は水と油の関係です。
でも、崇拝者は評論家から情報を(こっそり)仕入れています。アタマにくるなら見なきゃいいのに、批評批判もすべて目を通す。そして、「わかってない!」と勝手に憤る。。
自分も、宗教に対してはそんなスタンスです。とてもじゃないけど信仰はできない。でも「よりよく生きるため」に研究はしたい。研究をすることによりある意味「救われる」と思っているから、「教祖サマ」にすがることにより救われようとするヒトたちとは根本的に意見が合わないのです。
でも、昨今は宗教に対してあからさまに接近を拒む風潮ができてしまっているから(オウム以降)、宗教というものに限りなく接近してみるのは、自分にとっては必要なことだと思っています。そこには、ヒトビトを熱狂させる何かが隠されている。自分はその熱狂に取り込まれずにそれが何であるかを探りたいのです。
そこに「よりよく生きる」ためのヒントがある。