元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

自分の言語化能力について(3) 

本来の日記部分

  • 体調

コートが不要になってくる週。体調管理というよりは温度管理ですね。

  • 仕事

夜、箱崎

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自分について

  • 自分の言語化能力について(3)

また続き。。
自分の言語化能力獲得プロセスについて、手紙による表現(プラス「読書」という「栄養補給」)=>レポート等の論理的な文章表現=>ワープロというツールの獲得=>シゴトで強制的に「しゃべり倒す」ことによりアウトプット手法を確立
ときて。。
そして今、第三の波がきてると思うんですよね。この日記を始めたのが、去年の。。7月でしたか。そこからほぼ毎日日記を書いていますが、これが自分の中では第三の波です。

シゴトでしゃべれるようになってから、「書く」ほうをおそろかにしていたんですよね。「上滑りする言葉」は書き続けていました。それは、プレゼン資料であったり、ビジネスレターであったり、そういうものです。
でも、自分の内面と向かい合って書く、という作業をしていなかった、というか、逃げていたのかもしれないけど、それにより、頭の中にたまりつづけているもやっとしたものが、思考領域の多くを占めるようになってしまったんですね。
だから今、そのもやっとしたものを、必死に書き出そうとしている。書き出して視覚化するのも大事だし、「思い」を外に出して思考領域を空けてあげることも大事です。視覚化されたものがまた自らのコヤシとなり、空けた思考領域でまた思う存分新たな思考が始まるわけです。

それと、たぶんうまく説明できないのですが。。 言語化したものをアウトプットする手段をほぼ獲得してから、逆に、上滑りする言葉は、付き合い以外ではなるべくしゃべらないようにしようとしているのです。これがストレスの要因のひとつというか。。 生活してゆく上で、潤滑油としての「上滑りする言葉」は必要なんですね。たとえば時候の挨拶とか。。 少し前までは、なぜ挨拶のとき「今日は良いお天気ですね」と言わなければならないのか、理解不能だったのです。「そんなのこの天気みりゃわかるだろ」と。
でも、その必要性を、なんとなくわかってきたような気がします。

しゃべり倒すシゴトをしていた期間は、実はそれほど長くはなくて、それを経て思ったのはやっぱり、自分はしゃべり倒すシゴトは向いてないなあ、ということでした。
そして、書くほうが向いているのだろうなあ、とまたおぼろげに感じ始めているところなのです。
それも、「ビジネス・レター」の類ではなく、こんなふうに、自分の思いを整理して「上滑り」しないように書き出してゆくような作業。まだまだ未熟ですがそういう方面に活路を見出したいなあ、と。

うまくまとまりましたかね。 おあとがよろしいようで。。

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