頑張るのがなぜ悪いか?(2)
- 体調
良好。仕事がキツくない時期だから? というのもあるのでしょうか。
- 唄
3月ですので、「3月の雪」を想い出しました。
といっても今年は雪はふってませんが。。
- アーティスト: 槇原敬之,服部克久
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「すれちがっても〜わからないほど変わるなら〜あてのない約束でも〜しがみついていたい〜」
アオい唄、いいですね。
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人生観、のような、「こうありたい」的な、または反面教師
- 頑張るのがなぜ悪いか?(2)
前回の結論は、ムリして頑張ってる人がダシに使われて、多くの現代人は「頑張らなくてもいいんだ」という言説になびくようになり、永久に自分が抱える不満足感から脱出できない、ということです。
http://d.hatena.ne.jp/StevenGerrard/20070226
その後、よくよく考えてみれば、ムリして頑張っている人にも確かに問題はあって、それは、自らの意志でないことが多いのです。典型的な例は、会社でコキ使われる、とか。
自主的に頑張っているわけではないので、自主的に頑張っていると思い込みたいわけです。
たとえば会社についていえば、会社のために自分の身体をコワしてまで働くのは全くのムダです。そして、誰もそれを教えない。
労働は「それほど」美徳ではないのですよ。
なぜならば、現在、労働と思われている行為のほとんどは会社の策略だからです。
でも。。 会社で働くという行為を選択したのはその人なんですよね。。 だから自業自得、自己責任といえなくもないのですが。。
これも結局は会社シリーズか。。
「苦労を苦労と思わない」という話につながってゆくのでしょうか。
世間が考える「ムリして頑張っている」状態というのは、すべてが「頑張らされている」ということなんでしょうね。本当に好きなこと、やりたいことを寝食忘れて、身体がコワれるほどやっている状態は、他人がみて「頑張っている」ようには見えない、ということです。嫉妬羨望というバイアスがかかっているから。
あれ? だとしたら、「頑張らなくていいんだよ」とさとす人たちは、間違っていないということになりますね。。 最初はそういう人たちに対する違和感があったはずなのに。
でも、策略により頑張っている人だって、頑張っているには違いはないのです。
この話の基本に立ち返れば、どういうトリガ、動機であれ「ムリして頑張っている(らしい)」状況の人は、ホントにムリしているのであれば、段階的に楽になってゆく状況をつくりだすべきだとは思うのですが、いきなり頑張りをやめろというのは早計だということ。
それと、もうひとつ最初から引っかかっていたのは、「自分はムリしている」と自己申告する人たちのことです。「ムリ」という言葉が軽すぎる、ということ。
何かがわかってきたような気が。。
もう少し続くのでしょうか、この話しは。