元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

頑張るのがなぜ悪いか? 会社

本来の日記部分

  • 体調

昨日の頭痛がなくなり、よかったです。頭痛とは長い付き合いですが、夜、寝る前にいつも、「この頭痛が起きても続いていたらどうしよう」と不安になったりします。
と、いうことは昔書いたかもしれません。

  • カレンダー(予定の記入というよりはほぼ日記)はこちら

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会社シリーズ

  • マネージメント層の質の低下についてふたたび

会社組織におけるマネージメント層の質の低下、というのはこのトピックにおけるメインテーマですが(なぜなら、その質の低下のおかげで自分は何度も被害に遭っているためです)、
そもそも人を管理する、ということに対する対価、給料が少なすぎです。これだけ社会に適応できない人間が増えているのですから、その一端はビジネス・シーンに流入してきています。管理職というのはそういう人間も抱え込まなければならないのです。「社会人とは何か」から教えなければなりません。それは、バイトの教育と同じでしょう。

管理職というのはもっと、プロフェッショナルなスキルとして認知されてもいいはずです、以前のニッポンの会社組織のように、10年いれば係長、課長・・になっていって努力せずとも管理職になれた(そして仕事がなんとなくまわっていった)時代とは違うのです。

人生観、のような、「こうありたい」的な、または反面教師

  • 頑張るのがなぜ悪いか?

最近、人と話をしていたり、テレビをザッピングしていたりして、自分の違和感アンテナにばんばん引っかかってくることがあります。
それは、「ムリして頑張ってしまう人」の存在です。頑張ってしまうが故にコワれてしまう、みたいな。。
そして、そういう人たちを引き合いにだして、「頑張らなくてもいいんだよ」とさとす人たち。
完全に間違ってますよね。このからくりに引っかかる人がたくさんいるから、仕事でも生産性が上がってゆかなかったりするのです。主婦も「ああ、頑張らなくてもいいのか」と自分の仕事である家事をなおざりにしてゆきます。「頑張らなくてもいいんだよ」というのはもっとも都合の良い言い訳です。

まず、「頑張って何が悪いの?」ということです。頑張ってムリしてしまって身体をコワしてしまったり精神的に支障をきたしたり、そこまでイってしまったことに対する賞賛はないのか?と。適当に生きているより100万倍良いではないですか。

頑張ってしまって「ぽきっ」と折れたようになってしまうと大変だから、といって「頑張らなくともよい」という言い訳にはならないでしょう。そこが、短絡的なのです。
頑張るというのは、折れそうになるということですよ。折れてしまわないように努力量を調整するのは確かに自己責任ですが、折れてしまう可能性を秘めるところまで自分を追い込むのが「頑張る」ということでしょう。
「頑張らなくともよい」という人は何故ゆえに努力を悪であるという考えを世間に植えつけたいのでしょう。ホントに頑張らなくなった人の人生の責任をとってくれるわけでもなし。。

ムリして頑張っている人は、それを止めてほしいのでしょうか? この話は、止めてほしいに違いない、という前提で進んでいますが、頑張っている人の中には、それで満足している、止める必要もない人もいます。頑張っている人全体を、「頑張らなくともよい」と否定しなくともよいではないですか。

この日記には何度も書いていますが、頑張らなくともいいんだよ、という言説になびく側の人たちは、高い確率で、生活に不満足感を抱えて生きています。当たり前なんですよ、頑張ってないんだから。そういう人種は頑張っている人を引きずりおろしたくて仕方ないのでしょう。


ホントはこの話はもう少し根が深いんですけどね。。
続けられたら続けます。

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