元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

会社シリーズ連発 食べ物の好き嫌いとポリシー

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会社シリーズ

前にも書いているかもしれませんが。。
ブレーンストーミングですら、アイディアがまったく出てこないのです。
「で、だれがやるの?」が怖いから。ブレーンストーミングは本来、誰がやるかというのは考えなくともよいはずなのですが、この時点でかけ引きを始めてしまう。。
上司が「誰が(どこが)やるかというのは考えず、率直な意見を。。」といったところでそれはウソです。

これが、日本のごくふつうの会社の現状です。

アイディアは一旦プールしておけばいいと思うんですよね。そのリストを社内で公示して立候補者を募ればいいのです。
立候補した人/部署に対しては査定のアップで報いればよいではないですか。

言い出しっぺが「じゃあオマエやれよ」と言われて担当にさせられるというのは、いいのか悪いのか。。
「やれよ」といわれたら「じゃあ私が抱えている仕事全部だれかやってくれるんですか?」と言い返せればいいんですけどね。そういうことが言いやすい雰囲気であれば。
ですが、雰囲気より先に、「やれ」といわれたら「わかりました、じゃあ今抱えている仕事は放棄しますので誰かやってください」と言えるぐらいの強い意志は必要ですね。人として、というよりはサラリーマンを続けるのであれば。

  • 単身赴任とか

職場というものから自由でいられる、というのは立派な「個性」だと考えているのです。
特に「単身赴任」なんていうのは愚の骨頂だと思っているのですが。。 それは、単身赴任している人ではなくて会社組織に対して言っているのです。突然の通知で人の人生を狂わすっていうのはナシではないかと。たとえそれが社員であったとしても。よくある話では、マイホームを建てたとたんに単身赴任の命を受けて地方へ。。とか。

会社と社員の関係のありかたというのは変わってきています。





自分について

  • 食べ物の好き嫌いは意味がない

二十歳過ぎぐらいで食べられない食べ物というのがすっかりなくなりました。今は完全にクサっているもの以外は食べれます。
今考えると、あの頃、食べ物が好きだ、キライだ、なんてちっちゃい話だなあ、なんて思っていたのでしょう。今でもそう思っていますが。。たとえばトマトを「ダメ、ゼッタイ食べれない」と他人に声高に主張されても、「だからなんなの」と。「それがあなたのこだわりなんですか?」と。

自分は会社組織というものになじめないので会社員ではないですし、通勤ラッシュがイヤだからラッシュを避けることができる都心に住んでいます。
食べ物の好きキライとか、外食のこだわりとか、そういうものに大げさに拘泥している人に限って、会社組織に飲み込まれ、通勤ラッシュに耐えに耐え、そのことを飲み屋でグチをこぼしていたりしていませんか? 食べ物へのこだわりの話と一緒に。

大事なのは、ホントに心からキライなのはナンなのか、何をポリシーとして守るのか、の見極めでしょうね。そしてホントにキライなモノ、コト、には努力して、お金をかけてまでなるべく近寄らないようにすることです。それが人生の知恵です。これは「逃げ」ではないのです。社会に対する義務を果たしているオトナは、キライなモノ、コトから逃げてよい。
逃げられないのであれば、出来うるかぎり「キライなモノ、コト」となあなあの関係にならないことです。

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