耐性がないことを個性にしようという動き
トピック
- 体調
鼻水が残るが良い方向へ向かっている。
自分に対して「風邪」であるということをシカトしていると、自然と治ってくるような気がします。自分に対して「風邪なの〜 おーよちよち」と甘やかしているとなかなか治らない。。
人生観、のような、「こうありたい」的な、または反面教師
- ジェネレーション・ギャップ 「我慢が効く」の続き
耐性がないことを個性にしようという動きは。。 人としては最低に近いレベルだと思うのです。
たとえば、バイトなどで、「自分はイヤになったらすぐやめちゃう『ひと』だから〜」というのをウリにするような感じです。
これは、12/20の日記の続きで。。
http://d.hatena.ne.jp/StevenGerrard/20061220
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我慢のキャパが小さい、というのは、本当に問題だと思うのです。「思い込み」ができないといいますか。。
我慢がきかない、というのは戦前戦中世代が我々世代に苦言を呈していたことです。それを今我々が若い世代に対して感じるのですから、これはすごいこと(よっぽど)です。
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このときは、やたらと敏感な人に対する違和感を書き出していたはずで、ポイントは少しだけずれていました。けど根幹は同じような気がしています。
異常なほど自分の感情に素直に従う、というか。
そのひとつのたとえとして、暑いと思ったらすぐ上着を脱ぎ、寒くなったらまた着て、自分の感情に従うためだったらその面倒な脱ぐ、着る、という動きはいとわない、という。。
そこで、ただ単にひたすら我慢せよ、といっているわけではなくて、「自分はぜんぜん暑くない(寒くない)」と数分、数十分思い込むことはできませんか、ということです。
「あばたもエクボ」と同じようなことだと思うのですが。。
これに対する違和感の源泉はやはり「偽個性」に対するもので、人の迷惑も考えずに自分の感情に素直に行動することが「個性」であると信じて疑っていない人たち、悪いことにそのように躾けられ、教育されてきた人たちはもう諦めるしかありません。
彼らは、「我慢はいけない」と教わっているのです。
彼らの理論では、自分の感情に素直に行動して、他人を振り回したり、他人に迷惑をかけてもよいのです。比較論として、自分の感情を抑えて他人に従うよりも自分に素直なほうを是とします。
それを教えたのはいったい誰?
おそらく、我々の世代ぐらいまでは、それと全く逆な教育を受けているはずなのです。
集団においてはそのような人材はいい迷惑となってきます。特に、集団内における彼らの「感情に素直な」自己中心的な発言、集団の士気をそぐネガティブな発言(「疲れた」「やめたい」「めんどくさい」etc。。。)は集団において「悪玉」を醸成する温床となってきます。
そして結果的に集団からはじかれたりしますが、なぜはじかれるのか、すらわかっていない人たちもいます。そういう人は、気付くまではフリーターでもニートでもモラトリアムでも、なんでもいいのですが、とにかくそういう層に居続けるしかありません。