元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

見聞とは

本来の日記部分

  • 仕事

なかなか負荷の高い状況が、続いています。
今年は、ホントに、サボってばかりいたので。。そのつけが年末になってまわってきたのかな、と。

ミチクサ(散歩、都市論etc)

  • 見聞とは

旅行に通じていて、国内、海外で「見聞を広め」ている方々に対して。。
「(別な土地を)見てきたから何?」と言いたいこともあるのですが、(旅行の土産話が自慢モードのときは)それはまだそのヒトに対して嫉妬羨望の感情を持っているということです。

そういう「どこそこに行った」「○○(観光スポット)見た」「○○食べた」という、ガイドブックをなぞるだけの行動に対して「それはよかったですね 楽しかったのですね」とココロから言えるぐらいの器に。。なれるわけはないので、「危うきに近寄らず」のほうがよいのではないか、と思う次第なのです。

そんなことよりも、自分は、その旅行で「どう感じたか」を聞きたい、といいますか、アツくカタってほしいのです。あるいは、その国、その土地のヒトたちの風習はどうだったか、とか、そのあたり。

異文化に間接的に触れたい、という願望は自分にもあります。ただし、ガイドブックを眺めていれば済むハナシは不用です。

再録

以前から自分が主張している「世代間連帯」の裏側には、我々が、「重荷の世代」であるという自覚があります。

だからこそ、連帯しなければならないのです。

我々は、「ゆとりの教育」とかいう間違った教育政策により大量に産み出された単に「礼節のなってない」世代の教育係にならなければならず、さらに、人数ばかり多い「団塊の世代」の老後を税金→年金へ変換、というかたちで扶養しなければならない義務を負っています。

そして、これほどの苦役を背負わされているにも関わらず、我々世代には将来的に年金はロクに支払われない、というプロパガンダが盛んに行われています。この時期からこのプロパガンダを行っておいて、徐々に「仕方ない」と我々世代を諦めさすためのアクどい手法ですね。

「年金は自己責任で」という風潮が広まってきているのは確かで、どこかの誰か、アクどいヒトたちは「しめしめ」と思っていることでしょう。

(と、最近まで思っていましたが、最近の年金問題は、その「アクどいヒトたち」に誰かがリークして「蜂の一刺し」を食らわせたようです)

これらを「重荷」と言わずしてなんといおうか。

ですから、この「重荷」を乗り切るために我々世代は連帯しなければならないですし、「世間」あるいは「政治」は、我々世代を「ちやほや」しなければならないのですよ。

我々世代も、十分逆ギレする資格はありますし、モノワカリのよい面ばかりを見せるのではなく、「やるときはやるんだよ」という姿勢を見せなければなりません。また、その準備は着々としておかなければなりません。

そして、我々世代の責務として、我々世代が育てるコドモたちを、すぐ下の世代の「礼節のなってない」コドモたち(もういいオトナですが)のようにしてはならないのです。

すでに、我々世代は、世の中の中心になりつつあり、底辺部から上層部に飛び込もうとしているところで蠢いています。我々世代の「逆襲」が始まろうとしているのだろう、と思いますね。


ただ、連帯すべき我々世代の中に、たとえば「給食費未払い」の親がいたりとか、ところどころほころびが見えるのは看過できません。

「ゆとりの教育」を受けていないはずなのに、「ゆとりの教育」という偽個性化教育の影響下にいるヒトたちが、同世代にたくさんいるようです。

こういうヒトたちは、一見自由にやっているように見える下の世代に対してココロからの嫉妬羨望を感じており、「自分らもちょっとぐらいいーじゃん」という感じでサルマネをしています。

こういうヒトたちは私がよく例に出す「言い訳しながら茶髪にする」人種、というカテゴリに属します。

下の世代に迎合してしまうヒトたちとは、連帯はできません。