元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「中抜け半休」

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リーマンの人とずーっと20年ぐらい仕事してきたんだが「中抜けしまーす」を理解してもらえないというか。。

ざっくり言うと午後一の会議がないときに朝の会議が終わり、一旦抜けて夕方帰ってくる。
勤務時間は午後半休のときと同じ感じ?

夕方ね、帰ってきたいんですよ。現場で何起こってるかわからんから。外でメールchkしてるだけじゃわからないことってあるじゃない。

プロマネに夕方から重要な仕事頼まれるかもしれないし。


でもリーマンって遠くに住んでる人間がほとんどだから、一旦会社を出たらもはや帰ってこれない。つーか帰ってきたくない。夕方や夜から上司に仕事頼まれたくねーよ、ってのがリーマン。俺らとは考え方が違うから。

役所への用事とか通院とかって実は、半休で十分でしょ。中抜け半休使うと、とってもいいんだよね。

もっとでっかい話すると中抜け半休の積極的な活用ってWLBのための重要な施策だと思うんだよな。
ただ、中抜け半休できるのってけっこう、職住が近接してるのが条件になってくんだよね。

リーマンの家は職場から「遠いのがあたりまえ」っていうフザけた常識が幅を利かせていた時代は終焉を迎えてはいるが、まだまだ家が遠いという事実は否めないからなあ。

『夢』

stevengerrard.hatenablog.com

夢を実現したいんだったら夢が必要なんですよ。わかりますか?

 

後者は夜の夢のほうです。

 

 

夢の実現のために、昼間に何かしら活動をするとしますわね。

で、寝る前に、夢の実現後の理想を描くわけさ。

今日も頑張りました、と。少し夢に近づきました、とね。

 

今日も頑張ったという満足感とね、夢が実現された状況を思い浮かべてね、ダ

ブルで陶然とした状態で眠りにつくわけよ。

 

そうすれば夢、すなわち潜在意識がバトンをもらって、よろしくやってくれる

から。

でね、夢(夜のね)の顕在意識へのフィードバックっていうのはいくつかの「

アイディア」として、突然発現してくるから(予告なぞない)、それをメモを

とるとかして掬い取らないといけない。

 

あるいはふらふら~っと、夢を実現するために必要なモノ、あるいは人のほう

へ近づいていくかもしれない。つーか潜在意識が勝手にそうしてるのかもしれ

ない。

それを、つかまえないと。

過去を上書きしてくってのは、アリだなあ

stevengerrard.hatenablog.com

 

もんのすごい勢いで、現在が過去になっていくわけね。

問題はその「解釈」なわけ。

 

現在が過去に流れていくにあたっての「解釈」はね、実はものすごく自由なの

ドフリーなんです。

ただし、現代人はね。いや、先進国に住んでる人たち前提かもしんないけど、

まあそれはいいや。

 

ドフリーっていうことは、「自分の都合のいいように解釈可能」ということな

んです。(ここ、重要!)

 

まあわかりやすい例でいえば、けっこうツラいことがあったとしても「よい修

行であった」とかさ。

(うわ、たとえがヘタ。。w)

 

よくさ、昔から、何か事件があったときに「犬にかまれたと思って。。」って

いう定型句があるけど、あれは間違いでさ!

 

たとえばひき逃げされたとしてそれは「犬にかまれた」わけじゃないから!事

実として。

アタリマエだが。。

 

そういう「上書き」はできないのよ。だから「解釈」。

 

たとえば「けがが大したことなくてよかった」だよね。よくいわれるのは。

「今度すごいいいことあるよ、絶対」ってのもOK。

 

最近調子コイてたから天罰かもなあ、というのは50点。

今書いたとおり、「これからかなりいいことあるかも!」につなげていくので

あれば、よい。

 

さっき書いたけど「これも修行」ととらえるのも、悪くない。

 

解釈して、なるべく良いほうに「薄めて」、過去に「流して」いく。

この作業が、超大事なわけ。

 

 

で、ここから本題なんだけど!

 

過去をね、「都合よく」(ただし100%ポジティブに)上書きしていくと、

未来が少しずつ変わっていくってのは、ホントだよ?

 

それ、なぜかわかる?

 

それは、「バラ色の未来は運の良いヤツの下にしか訪れないから」。

 

この定説は、100%なんだよ。

 

でね、過去をポジティブなものに上書きしてくっていう行為はね、自分を(と

っても)運の良い存在に変えていくってことなんだよ!

変えていくってか「仕立て上げる」ってことかな。

 

過去を上書きすることにより、自分は過去にほとんど良いことばっかりだった

人間に「なる」わけさ。

それはつまり「運が良い人間だった」ってこったろ?

 

過去に運が良かった人間に、そのまんま未来も運が良い未来が待っている。

これが、100%なの。ゼッタイそうなの。

 

そして人間ってのは過去を「運が良かった」に自己解釈で変えることが可能な

の!

素晴らしいと思わん?

 

そしてもうひとつ素晴らしいのは、ほとんどの人間がそれ(過去を上書きする

こと)をバカらしいと思って、やらんのよ!

 

だから、「抜け駆け」することが容易なの。ニッチなのね。

オレはこのニッチに、早くから気づいて、食い込んでいくことができて、ホン

トよかったと思ってるよ。

 

さて。

あの、よくいわれる「今となればすべて良い思い出。。」っていうのがあんま

り好きじゃなくてね。

だって、消極的なんだもんな。

それって「待ち」でしょ?

 

とある体験をね、ネガティブな経験と解釈し、それが意識下に格納された後に

「時間」という関数で変換されて、「しみじみ」とした思い出になるのを待っ

てるだけなんだよ。

 

「時間」ってのはオレらが畏怖すべき「ものすごい」存在でさ、よくTime&Mone

yとかいうけど、実はカネより時間のほうが1億倍ぐらい大事だから。

いい?大事なこというけど、「時間とは神である」ということなんだよ。

 

まあそれは脱線だからこれ以上ふれないでおくけど、自分でなんとかしようと

せずに時間に丸投げしちゃってるわけじゃん。

だってさ、たいていの思い出は「しみじみ」になっていくわな。そりゃ時間が

経てば。

 

でもね!その経験はいつかはしみじみとした思い出に変わるかもしれんが、そ

れまでは??

「思い出に変わるまで」は、イヤな、あるいはダメな、思い出として、じゅく

じゅくと、ずっと残ってるわけじゃん。

つまり、アンタは運の悪い人間だったってことじゃん。

 

そういうのがね、かなり確実に、アンタの精神をむしばんでいくわけよ。

 

たとえば、とある1日コーラとジャンクフードで過ごしたところで身体はなん

ともないが、何日か続けるけどダメージあるでしょ。

タバコも、常習性がなければ嗜好品としてなんともないけど、依存症になると

身体をむしばんでいくじゃん。酒も同じ。

 

それと同じこと!

何か交通事故的にすごくイヤなことが起こっても、まあ数日ひきずるのはしょ

うがいないとしても「はい、修行認定!」っつって「しまって」おけば、別に

身体をむしばむことはないのよ。

 

でね、過去のこともね、ちょっと(いやかなり)つらいかもしれないけど、ど

っか静かなとこで瞑想とかして、過去の思い出をどんどん意識下から拾い上げ

てきて、ひとつひとつに解釈を与えて(もちろん、ポジティブな!)また意識

下に還してあげる、という行為を地道にしたほうがいいよ。

そうすりゃ速攻アンタの人生はポジティブに変わっていく。

 

オレ詳しく知らんけど、こういうのを体系化したのがセドナメソッドなんだと

思うよ。てきとーに言ってるけど。

 

ま、こんなに力説しても99.9%の人間は、なんだかんだくっだらない理由

つけてやらないんだが。。(ザマミロ)

誰も隠してない、これが人生の成功法則なんだけどなあ。

 

中流から上を目指したい人には、その手法をお教えしますよ、余すところなく。

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簡単なんだよ、ひとつの例でいえば、安売り「だから」その場所に行ったりさ、まんまと買ってしまったりしないこと。

 

あともうひとつ、これは難しいんだけど、求められてない、招待されてない祭りとかイベントに行かないほうがいい。できうる限り。

なぜなら、それってただの頭数集めだから。そんな誘いにまんまと乗るもんじゃない。中流から上を目指すんならね。だってそこにいったらただの群集のひとりだよ?

 

でも、たとえば「指定券」とかがあるんだったらいいけどね。アナタの席が確保されている、というのは、いいことなんだ。

 

 

で安売りの話だが、何か買う目的があって出かけていって、たまたま、その製品が安売りしていた、というんなら、いいんだよ。まんまと、安売りしていたことに感謝して、買えばいいさ。

 

でもさ、たとえばふとみたらワゴンセールやってて、ふらーっといっちゃって、別に欲しくもなかったんだけどなんとなく買っちゃった、なんていうのが「サイテー」レベル。

ゼッタイにやっちゃいけない。

 

シンプルな法則があって中流から上の人たちは、欲しいものを買うが欲しくないものは買わない。

That’s all. でしょ。

欲しくないものも買っちゃって家がパンクするのが凡人。欲しくないのに超安いものしか買えないのが下層。

 

スーパーのタイムセールなんて絶対いかない。あそこに群がってる人間と同質化しちゃうから。同質化ってオソロしい。

 

とにかく、群集がむらがってるところにいかない。なるべく、いかない。群集にまぎれると群集になってしまうから。

ただし、その群集のレベルが低くなければ、いいの。そのへんはシビアに判断すべき。

 

安売りに群がる人間のレベルは、中流の中の下。平たくいうと「タチが悪い」んだよね。いってはいけない。

 

 

さて、この「中流から抜け出したい」っていうのはあくまで自分自身の問題なので身内を巻き込まないこと!

たとえば奥さんが安売りに群がっていったって、いいのそれは。それは奥さんの人生なんだから。

 

奥さんは逆にほめてあげればいい。

そして、自分が変われば、周りも少しずつ変わっていくに違いないから、気長に待ってりゃいい。

 

 

ところで子供は、欲しいものってのはガツっと決まってる。から、それが安売りしてようが定価だろうが関係なくほしい。つまり、猪突猛進なのね。それでいいのよ。

子供はあれもほしいこれもほしいでいいの。それが自然なんだから。

 

 

でね、それはオレがずっと前から書いている「損をとりにいく」ことかもしれないよね。

安売りに顔出さずに定価で買え、とはいってないけども、それに近いこといってるわけだからね。

 

中流から上のふるまいを貫きとおすことにより数百円から数千円、あるいは長いスパンでみたら万単位の(金銭的)損をするかもしれない。

でもそれでいいの。それは望むところだから。

 

カネで若干の損をすることによりその何倍、何十倍もの、金銭には替えられないすばらしい経験を得ることができるんだから。

 

そもそも素晴らしいマインドを得ることにより収入上がったりして。つーかその可能性のほうが高いんだ。

 

ま、でも。。「損」ってかいちゃったけど、欲しくもないものを買うってのはお金に対して相当いけないことをやってるんだがな。欲しいものを定価で買うほうがよっぽどいーじゃんか。

 

ところで、タイムセールに群がる凡人は、そこで1000円程度金銭的に得しても、どーせストレスためて数千円分の無駄遣いを別にしちゃうんだから。

ほっときゃいいの。資本主義社会に貢献してんだから。

ビジョン・クエスト

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未来が見える人と、無理やり未来のビジョンをつくる人の2通りいる。

 

ビジョンが(何者かに?)与えられている人がいる。

でも実はそれはうそで、与えられているようにみえて実は潜在意識下の自分が

ビジョンを与えているのかもしれない。

でも潜在意識下の自分は自分でコントロールできないわけだから自他でいえば

「他」じゃないのもはや。

 

つまり。。

自己啓発本は、(半ば)むりやり自分の未来をつくりなさい、といってる。

なりたい自分を強烈にビジュアライズしなさい、ということは未来をつくると

いうことだ。

 

でもオレも経験あるけど、昼間ぼけーっとしてたり歩いてたりするといろんな

フラッシュバックがくるでしょ(こない?)。その中のいくつかは、結局未来

に実現してるからね。

 

「その中のいくつか」っていうのがポイント。すべてでは、ない。

 

だからオレも「未来がみえる」っちゃみえる。でも預言者には、なれない。な

ぜならその未来は個人的なことだからだ。日本が/世界が/地球がどうなるか

なんてわかるわけねーだろ!!

 

 

有名なとこでは「デジャヴ」っていうのがあるよね。既視感。

あれはフラッシュバックの具現化に他ならないでしょ。「いつかきたことがあ

るような気がする」っていうのは間違っていてね。そういう未来をイメージし

てたんだよね瞬間的に。

「誰が」そうさせたかはわからんけどね。だってさ、オレがやりたかったこと

でもないのに、なんでオレにやらせんのよってのもあるじゃない。

若いときにスポーツで苦労すること

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オレ最近、考え方変わったと思うんだけども。

へったくそな子がさ、それでも3年間サッカーとか続けてるのを見るとさ。。
なんか、泣けるっつーか複雑で。。

試合にも出れないし、そもそもボールを思うようにも扱えないだろうし、楽しくないだろうに。。

そんなの意味あんの? なんて本人に聞くのは、酷なんだろうけども。

でね、案外、大成するのはそういう子なんじゃないかなって思うようになったんだよね。
中学高校時代の部活のスターよりもね。

だってスターはイヤなことしないじゃない。ちやほやされちゃってさ。若い時分から。
うまいからって調子こいて後輩いじめたり。。

しかもさ、スターっつってもただの井の中の蛙だからね。「県大会出ました」ぐらいの。
全国出るぐらいだったらまた話別だけども。

そんなハンパなスターは、大人になって相当の代償を払うことになるんだろうなって。
中学んときへったくそであっても、そのチームのスターも、大人んなったら同じく「埋もれる」からなあ。
だったら小さい時分から苦労したり葛藤してたりするほうが強いだろ。

つまり。。試合も出れねーのに部活にへばりついてんのって時間のムダじゃね?
っていうのがだいぶ前のオレの考え方だったんだけど。
だってさ、二度と戻ってこない若い時代にだよ?

でも、若い時分でそういう苦労をできるということはぜんぜん時間のムダじゃねえなって思い直したわけ。

「小損を取る」(11) 自分の人生を予見しましょう

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 前々回かな?人生8勝7敗(ぐらいがいいのでは)ということについて書きました。「8勝7敗」という表現はどなたかの真似をしただけで、私の場合「52対48」ぐらいで薄氷の勝利、ぐらいになると思いますけども(苦笑)。

 ふつーに生きてしまうととんとん、プラマイゼロぐらいになってしまうので、わずかでも勝ち越すためにどうしたらよいか、といったことを書いたつもりです。

 今回は、ゆるやかに8勝7敗ネタの続きなのですが、自分の人生の後半戦を(勇気をもって)予見する、ということについて書きます。

 私の場合間違いなく人生の折り返し地点をすぎています。ので、良くも悪くも私の今後の人生は、今までの人生の延長線上にあります。つまり、劇的には変わらないんですね。

 ということは、我々の世代は、目をそむけることさえしなければ、ざっくり今後の人生は予測可能なんです。

 今後起こることのディーテイルを「予言」できるというわけではないですよ。そもそも、自分が、あるいは他人がいつ死ぬか、なんて誰にもわからないわけですからね。

 現在我々が、自分の人生に対して感じている幸福度、満足度(定性的な)は、死ぬまで概ねこのままでしょう、ということを言いたいのです。

 なぜなら、それ(幸福度、満足度)は自分が規定するものだから。

 ということは自分が変わらなければそれも死ぬまで変わりません。

 私のそれなりに狭い(苦笑)交友範囲をながめていると、みなさん目をそむけているようです。というか、考えたことすらない、というのが近いのかな?

 たとえば、このままでいいのだろうか!?という漠たる不満を持ちながらアラフィフまできてしまった方は、きわめて高い確率で、このままでいいのだろうか!?と思いながら死んでいくわけですが、その事実を突きつけられたらぞっとしないのでしょうかね…?

 私ならば、ぞっとしますが… そして何らかの行動には出ると思います。 

 自分の人生には概ね満足しているわい、という反論もあるかもしれませんが、もしそう考えていらっしゃるのであれば、素晴らしいですよ。もうそれで十分だと思います。

 そういう方はすでに「8勝7敗」で勝ち越していますし、おそらくこれからも、ちょっと勝ち越しで人生終えると思います。

 今までの人生に漠たる不満、そして未来に漠たる不安、を持っているのであれば、まだいいのです。なーんも考えていないよりも。そこから、打ち手を考えていくことができます。

  今後の人生が概ね予測可能というのは、別に悲しい現実なわけでもなくて、あたりまえのことです。これまでに良習慣を積み重ねてきた人は高い確率で良きエンディングを迎えられると思いますし、これまでに悪習慣を積み重ねてきた人や、あるいは、生活習慣ふくめ諸々が「ふつー」な人が一発逆転を狙うなぞムシのいい話です。今までに何も蓄積をしていないのであれば。

 でも、まさに今日!改心すれば、変わりますよ。人生は。ところが!さきほど「延長線上」と書きましたが、今までのそれなりの長い人生で変わらなかった人は今後も変わらないんです。改心できるポテンシャルを持っている方は、もうとっくにそうしてるはずなんです。

 アラフィフ以上の人はもはや変わりません(変えられません)ので、

あ、はっきりいっちゃった…「良いほうには」です。人間、悪いほうには一瞬で転落できますけども

 今書いていることは、まさに人生の折り返し点を迎え、いろいろ考えることも多くなってきた… みたいな層の方々に、ほんの少しでも届けばいいなあと思ってます。

 若い方々にも、このような説教臭い話はまったく響かないと思いますので(苦笑)、若い方々はとにかく、なるべく充実した人生をおくっていただきたいです。若いうちはそれで十二分です。今は「リア充」という都合のいい言葉がありますよね(笑)。抜け駆けして空気を読まずにどんどんリア充になっていただきたい。バーチャルではなくリアルを生きてもらいたいです。

 私の場合は、人生の折り返し地点あたりで、かなり重要で深い「気づき」があり、そのあたりからほんの少しずつ、良いほうに変わって(意識的に変えて)きましたので、これから死ぬまでも同じように、カメよりも何倍もノロいペースで(苦笑)良くなっていくと思います。

 そしてそれは他人にはまったく気づかれずに潜行して…

 それをすでに、受け容れているのです。つまり、もう劇的に良くもならないが、死ぬ頃には今よりも少しだけ漸進している。そのぐらいで、「オッケーよ!」(小沢健二さん風)と。

 現実問題として私のポテンシャルといいますか、私が実現できる「努力量」には限界があることをわかってしまっているので、劇的に良くなることもありません。

 ただ、年寄りになってからもずっと、年齢や健康状態を言い訳にせず、少しずつ少しずつ進化し続けたいと強く思っています。そして、そのためにはどうすればよいか? は明確にわかっている(基本的に今のライフスタイルを踏襲すればよい、すなわち「小損を取」り続ければいい)ので、安心しています。

  私の場合完全なる落ちこぼれのSEだったことが、逆に幸いしているかもしれないですね。このままでいいのだろうかとかこれからも食って(家族を食わせて)いけるだろうかとか、今後はどういう方向性で生きようかとかビジネス・シーンでどう立ち振る舞っていこうかとか、脳みそにうっすら血がにじむぐらい考えましたからね…

 たとえば35歳前後でバリバリ仕事している方(SE、PM、コンサル、その他)、実際活躍して成果を出している方、会社の上層部に期待をかけられている方は、その時期を「駆け抜けちゃう」んでよね…あまりに忙しいので。

 ぜひ一度、忙しい人ほど、人生のほうの「ふりかえり」をしていただきたいものです。ふりかえりをすれば、今後の見通しもセットでくっついてきます。見通せたらフィット&ギャップ分析をして(笑)、近い将来へ向けて布石を打つ(”弾込め”をする)稼働を確保していきましょう。