元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

テレビという名の怪物 ふたたび 

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 受動的にテレビの言説を受け入れていると、テレビから離れているときもその「けしからん」と世の中をイロメガネで見てしまうクセがついちゃうんですよ。そうすると日常が些細なガマンの繰り返しとなってしまい、淡々と過ごせなくなってしまうのです。それは一種の洗脳です。

 そうなったらすでに「あちらさん」の術中にはまっています。あのブラウン管の向こう(表現古っ)には「アタマのいい」方がたくさんいて、毎日賢いアタマをフル稼働して庶民を煽動しよう、モノを買わせよう、世論をつくってやろうと企んでいるわけですから(こういうのを総じて「洗脳」という)。

 それが仕事なんですから、かなわないですよね。

 リアル社会って、そんなけしからんことばかりじゃないですよね。ほぼほぼ日常が流れてるわけですから。芸能人みたいな容姿の整った人はほとんどいないし、ドラマティックな、ニュース性の強い「事件」はめったに起こらない。われわれ一般人はそういう世の中に生きています。それこそがリアル。

 そりゃあ新聞記者やマスコミの人と同じ「イロメガネ」で、常にネタがないか目を皿にして探していれば、いろんなことは見つかりますよ。おそらく裸眼よりも「よく」みえるのかもしれません。ただし、「彼ら」の意図通りの「イロ」がついてしまってますけどね。そりゃそうです、彼らから渡されたイロメガネなのですから。

 でも我々は、そんな異常に目の疲れるメガネを装着して世の中を見る必要なぞまったくないのです。裸眼でちょっとだけぼーっとみえるぐらいが、ちょうどいい。

 でも、多くの人は外せないんですよね。ムダに「くっきり」みえるから、ふと、イロメガネを外してみたら日常があまりに「イロ」がなくてぼーっとしていることに驚き、その現実を受け入れることができず、またかけちゃうんです。

♯イロメガネをかけさせられてるわけではなく、外すチャンスはいくらでもあるのに、自分の意志でかけなおしているのです。それが重要なポイント。

 なので...たとえば、もっと修行して、感情を陶冶しなければこの世の中を感情の起伏なく生きることはできないのではないか、という考え方が完全に間違っていて、そういう「力んでる」人たちは、イロメガネを外せばよいということにすら思い至らないのです。自分がイロメガネをかけていることすら気づいていないのかもしれませんよね。

 そのパワーをね、もっと別なところに振り向けてくれると… この国はもっとよくなるかもしれませんね(苦笑)。 日本のブレイン(アタマがやわらかいヒトたち)が極端にマスコミに集中してるような気がして、もったいないなあと思います。

「成功」すれば?

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まず、1日のスケジュールを自分で把握する。次に、1週間。月は、まあ最初はいい。

次に、日/週のサイクル、リズムを「感じる」。「感じる」のは、身体だから、最初は、続けるしかないんだけど、カンタンにいえば身体が勝手に動くっていうこと。

ここまでが準備。感じたら、変えるのね。だって変わりたいと思ってるんでしょ。

変わりたいんだったら、今の「リズム」を変えるしかない。いや、今の「リズム」を「変えればいいだけ」。

具体的には? 「やりたいこと」をルーティンに組み込む。
理想は、平日すべて。それが難しければ週3(あるいは2)

なぜやりたいことをルーティンに組み込むかわかる? それは、「変わりたい」と漠然と思ってる人は、ちょっと掘ってみるとイコール「やりたいことができてない」なのね。だから、やりゃいーじゃんって。思う存分、平日毎日やりゃいーじゃんって。

え?「旅行にいきたい」がやりたいこと? じゃあ行けばいいじゃん!週に一度、週末に!
それができないなら第一土曜日に必ず行きなさいよ!旅行に!!
まずはとっかかりは近場でいいんだよ。近場への日帰り小旅行をルーティンに組み込むことによりいつの間にか海外にいくようになってるわね。

だってそれは、当然の帰結だもん。

動き出すこと。


次に(実は)もっと重要なこと!

いや~別に、けっこう今の人生満足してるし~ という方!も!変わらなきゃいけないの!

なぜなら、何回か書いていると思うがこの21世紀を生きぬくオレたちは「現状維持は退歩」なんだから!? という意味では、楽しいがキビしい時代。

毎日毎日、仕事から帰ってきて居間にどっかと座って一歩も動かず「めし!」「ビール!」とかいってた昭和のおっさんは、平成にもしそういう生き方をしたならば離婚されて路頭に迷うわな。

変わらなきゃ。

あのね、時代が進化してんだから。だから自分も変わらなきゃダメなのよ。でも日常をドラスティックに変えるわけじゃなくて、今のルーティンを常にブラッシュアップしていくわけさ。トヨタカイゼンみたいなもんかな。

常に自分のルーティンに目を光らせておくこと。

つまりそのー、時代にね、「変わらせられる」じゃダメなのよ。自分から変わっていかなきゃ。常に先行?みたいな。

そうすると1年ぐらいたつと、かーなーり自分が変わっていることに気づく。でもね、それは時代の変化ととんとんなんだよね。
もっと変わりたいんだったら前述したようにドラスティックにルーティンを変えること。

「小損を取る」(10) 【続き】実践編その2:ゴミ拾い

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エンジニアライフでホントいいこと書いてるんだけど、黙殺。


 引き続き「ゴミ拾い」について書きます。

 「ゴミ拾い」はあくまでひとつのたとえでして、アラフォー過ぎたらなんでもいいから、どんなときでも優先度高く行う「善行」をひとつかふたつ、持ちましょうよ、ということです。

 照れずにやればいいと思うんですよね。そして、こっそり。SNS等でアピールする必要なぞはまったくないです。

 そして、そういうことをやろう!と決意するとなぜかその遂行を妨げる事象が起こるので(苦笑)、それに対する対策(?)などを前回から続けて書いていきます。

 大事なのは、ゴミが目についてしまったら、何もせず目をそらしてはいけないということ。

 みなかったことにしてはいけないのです。

 拾うと決めたのに「みないふり」が続くと、自分が自分に対して信頼をなくしちゃいますからね。信頼のおけない自分と同居する(?という表現が正しいのかわかりませんが)というのはけっこうキツいものです。

 それと、ふっと目につくものをスルーせず、一旦意識するのってとても大事な訓練だと思っていて…イメージとしては「フックする」感じでしょうかね。「ん?なんで自分はあれに目がいったんだろう?」と、まず考える。結論は、その場では出さなくともよいです。「フック」さえしておけば。

 ある日突然、フックしていたモノたちがつながってチャンスをするするっと引き寄せたりします。

 ただ、このゴミ拾いのたとえでいえば、目につくものをフックするだけでは足らなくて、

ゴミがふっと目につく→どんな状況下でも即対応(反射的に)

 を繰り返すことで、これがビジネスにおける鍛錬にもなります。なかなか地味~にキツい鍛錬ですよこれは(笑)。

 野球選手における「素振り」?違うか、アスリートにおける腹筋みたいなものでしょうか。

 なぜこれがビジネスの役に立つか? は、続けてみればわかります。これがいかに大事かは。

 ゆるーく、やれるときだけやる、ではわからないと思いますけど…

 ビジネスで人の上に立つような方々はみーんな、このような類の鍛錬を続けている人間、ビジネスにおける基礎体力ができている人間、この例でいえば「どんな状況下でも即対応(反射的に)」できる人材がのどから手が出るぐらい欲しいのです。

 なので、引く手あまたになる可能性が非常に高まります。

 ゴミを拾い続けていると(ビジネスの)基礎体力がついて、ゴミを拾うというシチュエーションだけでなく、いろんなところで「即対応(反射的に)」できる人間になっちゃうんです。不思議ですね…

 SEは残念!なことに習性としては真逆なので(時代遅れの職人気質を好む傾向が強く、アタマを下げられてはじめて「しょうがねえなやってやるか」と重い腰を上げる、いうシチュエーションにもっていきたがるため、即対応することができない)、これができる人は良い意味でものすごく目立ちます。

※なので、嫉妬されて足を引っ張られないように注意する必要もありますね

 もちろん、即決断を求められる経営層も(そこを目指す人たちも)、これが必須スキルであることは論を俟ちません。

 前回書いた菊池選手のインタビューのとおり、急いでいたり「そういう気分じゃない」ときに限ってゴミが目に入ってきます。ビジネスでも日常でも「なんでオレが(アタシが)やらなきゃいけないんだ」「この忙しいときに」と感じることがよくありますが、そういう思いが立ちあがってきたときこそが実はチャンス(?)です。

 それががっつり1時間かかるタスクなのであれば回避すべきかもしれません。ケースバイケースなので一旦考える必要があります。が、"a few minutes"なのであれば淡々と時間を差し出すことです。このわずかな時間を差し出すのも小損です。

 そして、「いずれ誰かがやってくれるであろうことをあえて自分がやる」という行為については…正しいとは思いますが注意が必要ですね。なぜなら、そういう自分に酔ってしまって、正常な判断ができなくなる可能性がありますので。

 いずれ誰かがやってくれるであろうこと、は星の数ほどありますが、そもそもいずれ誰かがやるのですから優先順位は最初から高くない。にも拘わらず、myルールとして設定していることについては、きっちりやらなければなりません。

 逆にいえばmyルールとして設定していないことについては、ほぼスルーでよいかもしれませんね。頼まれてしまうと、致し方ないこともあるのですが…

 頼まれて意気に感じるのは、最初はかまいません。ただ、本来自分がやらなくてもよかったタスクにがっつり1日とか半日とか使ってしまうとそれは小損ではなく「大損」(またの名を「犠牲」)になり、かつ周りにナメられる(あ、やってくれるんだとどんどん丸投げされる)ので、あえて自分がやるのは結構なのですがやはり"a few minutes"でやれること限定にしたいところです。

 "a few minutes"で済むことであればどんどん周りのサポートをすべきだと思います。

 ただし"a few minutes"で済むはずだったのにどんどん時間が膨らんでしまって… というケースが多々ありますので、最初の時間の見積もり、精査は大事ですね。

 あるいは別なソリューションとして、時間が経ったら空気読まずにすぱっとやめる、相手に自分の時間をコントロールされない、という手法もあります。

 こういうこと、つまり、自分の生活の局面局面でタスクにかかる時間の見積もりをしてかつタスクも遂行し、予実管理(想定していた時間どおりにできたか否か)を繰り返していると、プロジェクトマネージメントが上手になりますよ。

 他人のタスクであっても工数や納期に思いが至るようになってきます。PM本読んで資格試験の勉強しているだけではダメでしょうね…

 SE含めたサラリーマンの方は"a few minutes"を躊躇なく差し出すのが難しいみたいですね。なんかいつも忙しい忙しい言ってますし(ホントだろうか?)。

 忙しいときこそ何をやるかの精査が必要なのに、「やる」と決めたことですら"a few minutes"を惜しみなく差し出せないという… だから、やると決めたことを続けられない(イコール、"a few minutes"を差し出せない)人は、時間配分の優先順位づけが間違ってるんでしょうね。たぶんスマホとゲームに大量の時間を貢いでいたりするのでしょう(苦笑)。

 さて、ひとつのたとえですが、客先の重要な会議に行くのに小走りで移動していて、これを逃したらアウト!という電車に乗れるかどうかギリギリ!といった瀬戸際のところでバカ正直にmyルールに"a few minutes"を差し出したら遅刻してしまった、と。

 先方にイヤミをいわれ、上司にはオコられ…で後で独り勝手にブチ切れて、もうやめた!となる。

 こういう方、多いんですけど…

 あのー、そもそもビジネスマンの基本スペックとして、常に、10分ぐらい時間に余裕をもっておく、ということなんです。これ、ビジネスマンのもっと基本的な小損("a few minutes")なんですね実は。

 この小損をデフォルトでとっている人(新入社員の頃から)は、成功してるかどうかはわかりませんがつつがなくビジネス・シーンを泳いでいってるはずです(現在進行形で)。

 たったこれだけで!

 時間に余裕を持った行動というのはビジネスマンの基本スキルであって新入社員のとき叩き込まれる、はずなんですがどうも… IT業界はメンターが最初っから時間にルーズなことが多いので、後輩もマネしちゃうんですよねー…

 自分のルールとビジネスとは対立軸にあるわけじゃないのです。自分のルールは、それが善行なのであれば必ずやビジネスで役に立つのです。

トップセールスとロートルのSE

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あのね、カリスマがさ、トップセールスしたら、100%売れるでしょ。
じゃぱネットのたかた社長がさ、繁華街に繰り出して、セールスしたら、鈴なりに人が集まってそしてバカバカ売れるだろ。握手つきとかにしたらさ。
それほど、知名度って大事。

でもね、かつてのカリスマSEがさ、今、トラブルシュートしたところで、技術なんか錆びついちゃってなーんも役に立たないよ。はっきりいってジャマなだけ。

後方にいるんなら、いいんだよ。あれやこれや指揮するんならね。でもオマエが出しゃばったところでなんの役にも立たねえんだよ。
っていう自覚が、ねえんだよな。

セールスって、いいよな。。年齢関係ないから。

勉強して、凡人になる。

stevengerrard.hatenablog.com

学校の勉強一生懸命やるのはね、それはこの現代社会では「凡人」になるためなんだよ? わかる?

平々凡々とした人生を送るために、(学校の)勉強をするんです。

そのへん、子供にはよおく言って聞かせたほうがいい。

わかってると思うけど、平々凡々と生きるってのはホントウに、大変なことなんだよ。特に、「生き切る」というのは。

この「生き切る」一点のために勉強しなければならない、といっても過言ではない。


では、平々凡々と生きたくない場合どうしたらよいのか?

で、ほとんどのバカ者は、勉強しても凡人にしかなれないんだったら。。と
まんまと勉強やめちゃう。

だからバカ者なんだよ。勉強しない言い訳をまんまと自分でつくっちゃう。
昔、養老先生もいってたろ?「バカの壁」って。これがまさにそうだよ。


。。平々凡々と生きたくないんだったら2倍勉強するか、勉強と同じぐらい何かに打ち込むか、どっちかに決まってんだろ!

相当苦しい道を進まないと平々凡々からは抜けられねーんだよ!んなもん当たり前だろうが!!
それどころか、一生苦しいんだぜ? その道は。

かといって勉強やめれば下層に転落するだけ。キッツい世の中だよなあ。
でも生き切るしかねえんだって!

ただーし!
勉強をやめても、そのぽっかり空いたところに、何かを勉強の2倍打ち込む、でもいい。

そうすりゃその打ち込んだ領域が、自分の糧になり、下層には落ちない。

整理すると。
勉強1+熱中するもの1 で人一倍努力する →凡人を超える
熱中するもの2 で人一倍楽しんで、努力する →凡人を超えることはできないが凡人のまま生きられる

ってことだ。

よげんのしょ

stevengerrard.hatenablog.com

スケジュール引いて、計画立てるんじゃないんですよ。

 

ああ、未来はこういうことが起こるのか、と、わかるための線表引き作業なん

ですよ。

 

つまりそれは、「預言の書」なんです!

 

そしてそれは「回顧録」でもあるのです。わかりますか?

回顧録を今時分からつくっているってことなんです。

 

回顧録を今書いてダメっていう法律はない。

 

トヨタがそんなことをやっていると聞いたことがある。

(今はわかりませんが)

 

トヨタの人は明日の打合せの議事録を書いておくと聞いたことがある。

 

明日の議事録を書いておくなんてそれ、完全に「預言の書」じゃん!

 

 

仕事で線表引ける人は実生活の線表もひけるはずなんです。

「知ったこっちゃない」のが正解

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けっこう誰もが人生ってプラマイゼロなんだよ。それがね、超ポジティブに考えるヤツは、プラマイゼロなのに常に絶好調だし、ネガティブに考えるヤツ(イコール、大多数の日本人)にとっては、プラマイゼロとはどうしても思えず、マイナス先行のような気がしてならない、と。

どう解釈するかは自由なんでさっき書いた「知ったこっちゃない」なんだけど、この、人間の人生は高い確率でプラマイゼロである、っていうのが、どんだけ人類を救ってるか。。

つまり、ただ何となく無目的に生きてるヤツがわらしべ長者理論で大富豪にはならない。そういうヤツにはそれなりの人生が待っている。大きくプラマイにはふれない人生。

スーパーアクティブに生きてるヤツは、「人生の報酬」もかなりすごいもんがあるけど、そこに至るまでの谷底(失敗とか)も相当のもんだよ。大きく大きくプラマイにふれる人生。結果的にはとんとんだけど。
でもそういう「ふれる」人生を望んでるんだよね。

なんとなーく深く考えないままに勝ち抜けるヤツもめったにいないし、この現代社会においては生まれてから死ぬまで絶望的な(たとえば収容所とか?)人間もめったにいない。いや、昔はいたらしいけどね、あくまで現代の話。

だから!「知ったこっちゃない」ってのは「ほっとけばぁ?」って意味。ほっといたってプラマイゼロに近づくのは間違いないんだし。そして自分もそうなんだし。

人間の経験が相対的であり無限に可能性を秘めているのに結果的にほぼほぼプラマイゼロに収れんされていくってのが不思議でしょうがないんだよね。