「宿便」的
心の中の引き出しにしまわれていた「感情」とまではいかないがいろんな「フレーズ」?がね、静かな環境に身をおいていると、不意に「ぽろっ」と、意識の表層にあらわれてくるわけ。
んー何がそうさせているのかわからないんだが、まさに「ぽろっ」という表現がぴったりだと思うのだが。
そして、ほぼ無限にあるであろうフレーズからなぜゆえに「それ」が選ばれたのかもわからにのだが。。
ま、そのへんは一生わからないかもしれんが、ぽろっと出てきたのをぱっとつかまえる。具体的にはメモしたりする。
オレの日常はまさにこの「つかまえる」の繰り返しで、間接的にはこれで食ってるといっても過言ではないんだけども、こないだふと思ったのはこれは宿便を出すっていうのとかなり類似性があるのではないかと思われ。
けっこうマジメなドラゴンボール論
「無関心」ってのは、ドラゴンボールの重要なテーマだったような気がしてるのね。
オトナになって思うと、ね。。
鳥山明先生がそれを意識していたかどうかは、わからんけども。
悟空とかさ、強いヤツらは、結局のところモチベーションって「自分より強いヤツがあらわれるとワクワクする」っていうそれだけでしょ。
ところがね、相手が強くなればなるほど、地球を破壊するぐらいのパワーを持つようになり(もちろん悟空とか善玉のほうも同様に)、結果的に地球を守る戦いになっていくという。。
どんどん強くなるっていうのは、もともとは悟空とかの自己マンだったはずなのに、最終的には「みんな!オラに元気を分けてくれ!」っていう、アニメ界だけでなく一般化されたセリフにつながっていくわけ。
みーんな、無関心なわけでしょ。悪玉のヤツがふっと息を吹きかけただけで地球がふっとぶぐらいの(比喩ね)危機的状況で、今まさに悟空たちが動機はどうあれ、「大好きな」地球が破壊されないように戦っているさなかにも「街」は無関心。湾岸戦争をテレビで見てるような状況ね。
警告はすでに何回もなされているはずなのね。庶民に対して。善玉たちからしたら庶民に文句たらたらなわけ。「なんでこの危機的状況に気づかないんだ?」と。
ところが!いざ現実が眼前に迫ると。。たとえば、これもたとえだけどちょっと流れ弾が街に落ちてきて、警察も軍もまったくたよりになりましぇーん、となったときに、庶民はやっと気づいて、気づくならまだしも、悟空たちスーパーマンに対して文句たらたらなわけ。
「なんとかしろよオマエ!助けろよ!もともとはオマエらが悪いんだろ?」と、キレる。悟空たちは庶民に毒づかれるわけ。こうなったのもぜんぶオマエらのせいだ、と。
完全無関心からいきなり(ある種の)熱狂へ。
「元気をわけてくれ」の話で、「街」にまだまったく被害がなくて、戦いをテレビでみながらポテトチップ食べてるような状況のときには、だれも元気をわけてくれない。
でも、街が危機的状況になっていてもほとんどの庶民はいまだ無関心で、それどころかなんでオレの元気をオマエにわけなきゃいかんのだ、と。オマエらのまいた種はオマエらで刈り取れ、と。それが庶民のスタンス。
結局庶民ってそういうもんなんだよ。
古事記とか、ファンタジーじゃん
ド素人なので!上からなツッコミは無用なんだけど、
みーんな、ファンタジーじゃん?って思うんだよね。たとえば古事記、日本書紀とか。旧約、新約聖書も。維摩経も。たぶんコーランもそうなんでしょ。
論語だってそうじゃん。易経もそう。
なんつーかこう。。フィクション、物語に対する解釈なわけ。宗教ってのは。
箇条書きでかくあるべしって羅列してあるわけじゃないんだよ。
あるいは、詩?
「講義録」じゃないの。物語なの。
現代においてもそうだ。●●のバイブル、とかそういう謳い文句の本ってみんなその路線を狙ってるでしょう。
狙ってるけれどすべてダメダメだけどね。
でも、現代の本が未来のバイブル「級」になる可能性はある。前から書いてるけどマジメな話、ドラゴンボールとかワンピースとかは未来のバイブル「級」になるよ、間違いなく。
キャプテン翼も、スラムダンクもそうなるかもしれない。
何が生き残るかは、わからない。何かを生き残らせるために、何か恣意的な力が働くのかもしれない。
この話しは、ねかせておいてまた考える必要がある。
「貢献」論
オトナになってしみじみわかるのはね。。
圧倒的自由を得るために必要なのが、それに見合う圧倒的「貢献」というか。。
まぁまず仕事は思い浮かぶよね。自由を得るためには軍資金が必要だから、仕事はしなきゃいかんだろ。ちなみに不労所得を夢想してる時点で「圧倒的」な自由からは遠く離れている。小さな自由は得られるかもしれんが。このあたりは別途書こう。
仕事は社会貢献だよ。間違いなく。素晴らしいことだ。でもそれだけじゃダメで。
いやダメじゃないけど、説得力がなくてね。。
たとえば家庭でいえば育児貢献?家事貢献?とか、地域社会でいえば地域への貢献。そういうやつね。
そういう貢献があって始めてとんとん。そういう時代なんだよね。
つまり、ドライにいえば、稼働時間をとられるってわけ。仕事はもちろんそう。そして、仕事だけじゃダメだぞと、世の中からプレッシャーをかけられる。
キビしいでしょ?圧倒的自由ということは、圧倒的自由「時間」とほぼイコールなわけ。自由時間がほしいのに時間を差し出さなきゃいけないの。
で、現代人は、余裕をもってかまえて、はいはいわかりましたよ、いろいろマルチに貢献しますよ、とそういう心づもりでいたらいいのね。
サボって時間をねん出しよう、じゃダメなのよ。ていうかサイアクのソリューションなのそれは。サボってちゃ圧倒的自由は手に入らないのね。(期間限定的な、プチ自由は手に入るけどねえ)
つまり、喜んで時間を差し出すウラでは、死ぬほど貢献を効率化するのね。ちょっとの時間ねん出で最大限の効果を出すべく、死ぬ気で考えよということ。
ただでさえ仕事に時間とられてんだから、プライベートのはずの時間も少ないんだから、そこからさらに時間をねん出するんだから、仕事よりもヒッシに考えなきゃいかんわね、生産性を。
はっきりいうよ、若い人たちへ。(相手の親戚について)
あんまり、こういうこと(小言?)をいう人が減ったから。
結婚しようという人があらわれたとするよね。まぁお互い好いています、と。
いい感じです、と。
そこから先が、長いんですよ。
ゼッタイに!まず同棲を進めます。少なくとも半年。
でね、なぜそういう期間が必要か? なんだけど、それは御互いの相性を確かめる期間ではない!!!
相手に、どんな親戚がいるのかを確かめる期間にするの!!!
アナタは、(仮に)結婚するにあたり、対等の立場にある。というか対等にしなければならない。
惚れた弱みがどうこう、なんつーのがあるのならば、くそくらえです。
まず相手の親が粘着だったら論外。嫌われてるほうがまだいい。自分を好きか嫌いか、じゃないんだよ。
相手の親の性格を冷静にみきわめる。
親戚にも「変なヤツ」がいないかしっかり確かめること。
「変なヤツ」とは? それは、さし控えさせていただきますw
アナタたちがどんなに愛し合っていたところで親戚に「変なヤツ」がいたら結婚に進むのは「やめる」という選択肢もあるんですぜ。
別に別れろなんてこれっぽっちもいってない。同棲したけりゃすればいいんです。
本人どうしがどんなに仲がよくたって、結婚した後に「親戚」が「おかしいな動き」をして、良好な関係にヒビをいれるということが、多々あるんです。
とくに女子!! 女性はホントに、きわめて冷静に、相手の親とその向こうの親戚を観察、分析するように!
いっときの「愛してる」なんていう狂喜に翻弄されてはならん。
こういう話ってタブーなんだろうか? 僕は全国の結婚を前提にお付き合いしている若者たちにこのことを説いてまわりたいぐらいなのだ。「相手の親だけでなく、親戚をみきわめよ」と。
面的
才能や実力は「面的」なんです。
その瞬間最大風速のpowerではない。
つまり、横軸に時間があるわけです。
時間があるということはつまり、どんだけ「続けるか」ということ。
そして、面的ということは縦*横の積、かけ算なのだから、続ければ続けるほど膨大に才能や実力が増えてゆく。
才能、ってものをね、瞬間的な概念と考えてしまいがちだけど。。つーか僕もそうでしたが。
でも、どうやら違うらしい。才能すらも時間をかけて醸成してゆくものだということ。
ただし、才能ってのは、小さい頃に時間をかけて伸ばしてゆくものなので僕たちおっさんには手遅れの可能性は高い。が、僕らにも何かしらの才能が眠っている可能性は、なくはない。
小さい頃が大事だから、教育は大事なんですよ。
僕らみたいな凡人に朗報なのは、よくいわれるとおり時間(つまり横軸)は平等だということ。
1日は24時間を刻み、そして平等にすぎてゆく。何かを続けるも続けないも、勝手なのだ。
「引き寄せの法則」の訓練
引き寄せの法則についてはけっこう語れるから。
まず、たとえば「なーんかコーヒーでも飲みたいなあ」と思ったとして、自動的にコーヒーがやってくるわけがない!
それはあたりまえのことだ。
そして、それを実現するために、我々は「ちゃんと」行動を起こしている。ふんぞりかえっているわけではない。
この、ちゃんとやってる、というのが大事。も少し自分を見なおしてもいいよ、と。
自分で淹れたり、喫茶店にいったり、スタバにいったりするわけで。
そうすると、思いが実現する。
これも「引き寄せてる」例だよ。立派に。
コーヒーを飲みたいとかいうのはあまりに日常なので、カンタンに、リアルに、頭に鮮明に思い浮かべることができる。オイラはスタバのキャラメルマキアートをすごくリアルに思い浮かべることができる。
これが「念じる」ってことだ。
だから大事なのは、念じたら、実現さすこと。このクセをつけておくこと。我慢はいかん。念じておあずけはダメなんだ。
それと、コーヒーを念じて缶コーヒーを買いにいくのは、ダメなんだ。だって、ビジュアルがぜんぜん違うでしょ? もしかしたら味は似てるのかもしれんが。
そういうクセがついちゃうと、人生ヘンな方向にいっちゃうから。
(その2)
オイラみたいな凡人はまず願望が先にくる。本能的な。
それこそ「コーヒー飲みてえ!」とかね。
願望が先にきて、イメージを脳内で具現化し、それを実現、というプロセスではなくて、(いや、それでも十分なんだけど)願望を操作するってこと。
たとえば一人暮らししていて、まだ何も願望が発動していないときに。。腹も減らない、眠くもない、暇だな~ みたいな。
そういうときに台所をみるとラーメンが。。そして、少しの野菜などもあり。
この野菜を使って、どんぶりをみて、だいたいラーメンの完成形が想像される。。具体的に。
ここで、「願望」を発動させる! 意図的にね。(むりやり)「ラーメン食べてえ!」と。あんまり食べたくなくとも、いいんだよ! 訓練なんだから。
その時点ですでに、イメージが具現化されてんだから、あとはつくるだけ。当然、実現されるわね。
この訓練。わかりますか? 荒唐無稽な願望を本能に任せて抱くのではなく、まず現実をみてから願望をコントロールして発動させるということ。
アタリマエのことだが飛躍的に実現可能性は上がるわな。
この訓練のたとえで重要なことはね、どうせ結論は同じなんだから、ってこと。
一人暮らしで、これから腹が減るだろうという状態で、外に出るのもめんどくせー、そんな状況で冷蔵庫にちょうどラーメンとその具材がある。。
カレーが食べたくても結局ラーメンになっちまうんだから。カレーが食べたくともどうせ金もないし、外にカレー食べにいくこともなくスーパーでカレーの具材買ってきて一からカレーをつくることもないんだから。
どうせ結論が同じなんだったら強く予期される結論を望んでみろや、そして、それに対して「それしか選択がなかった」ってスネるんじゃなくて、ちょっと喜んでみろや、と。
(その3)
昨日書いたような、願望を実現するための訓練。。
これを、やろうとする人間はおそらく、少ない。わかっていてもやらない。
なぜなら今の管理社会にいきてる日本人は、反動としての「本能」大好きだから。
なんでそんなとこまで自分をコントロールせにゃならんの、と、それも「本能的に」拒否するだろうからね。
でもさ、人間ってやっぱある程度自分をコントロールできないとダメだろ。願望すらもね。
ところでさ、世の中にコンビニっちゅーもんができて、人間の願望はいともカンタンに実現されるようになったと思わない?
寝間着姿で、つっかけで近所のコンビニにいけば、金さえ払えばだいたいの庶民のプチ願望なんて実現されちまうんだから。だから「コンビニエンス」なわけで。
にもかかわらず、願望がカンタンに実現される世の中になったにもかかわらず、なぜこうまでも現代人の悩みは深いのか。。
金がないからだろ! と思った人は、間違ってる。金は、かつての日本の庶民よりも、もってる。コンビニができて暮らしも便利になってる。
でも、それに反比例して悩みは深くなってきている。
その理由はおそらくみんなわかっていて、「願望がいともカンタンに実現されるようになったから」悩みが深いのだ。
同じじゃん! そもそも「願望がいともカンタンに実現されるようになったから」幸せになるはずなのに! 人間は意識して自分を不幸だと思い、そして不幸になってゆく。
人間たる存在、なんてわがままなのか。。という感じ。