元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

それまでガラガラだったのにオレが入店するといきなり混みだすw

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オレが飲食店に入店すると、それまでガラガラだったのにいきなり混みだす!っていうのは、多くの人が考えている錯覚だと思うが(笑)、もちろんオレもおおいにそう思っている。

でもね、オレの場合錯覚じゃなくてマジメに、オレの行動って他人より「一足」だけ早いのよ、間違いなく。なぜならそれがオレのモットーだから。

大衆が二の足踏んでるような状況でぱっと入っちゃう、みたいな?そういうタイプの人間を目指してるからね。

二番煎じはとにかくラクだよね、そしてそうはなりたくないよね、ってこと。

久々 宗教系

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人間っていうのは宗教を否定しきれないようにできている。

という点では安心して、とても困ったときとかは神(なにか偉大なるもの)にすがってもよいのです。

そのかわり、その「超越的な存在」に対して現世的な利益を望んではいけません。求めるのはただ一点、「やすらぎ」のみです。


ところで
そのように何かを念じるとき、たぶん私たちは、「超越的な何か」のフロントにいる「集合的無意識」にはたらきかけているのだと思います。それは、いってみれば「みんな」ですよね。

集合的無意識と超越的存在がイコールかどうかはわかりませんが。。おそらくはNoなのでしょうね。

空腹んとき食べなくともいいんじゃ?

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空腹んときにね、「食べない」っていう方向性のほうが、なんとなく「自由」なような気がすんのね。

で、空腹んときにね、カネに糸目をつけず高いもんを食う、という選択肢があるのは、知ってるよ。
食べたいときに食べたいものを腹いっぱい食べるという行為がね、そんなにカンタンじゃないことは知ってる。

でもさ、それ古くね? 高度成長期? みたいな。

空腹んときに、本当に本当に「食べたいものを食べる」だったらまだレベル高いけどね。俺ら世代は、その瞬間にホントに食べたいものがカップラーメンだったりじゃがりこだったり、多種多様なわけじゃん。もちろん、並列で、ものすげえ高価な食べ物だったりする可能性もあるわけだけど。
でももはや成金じゃないんだ。もっと自然体でいけるんだよ。


でもさ、食べ物に縛られている状態ってのが俺はホントイヤなのね。
別に一日一食でもまったくかまわん、ぐらいになれたらどんなに自由かと。いや時間的にも。一日で二食ぶん作ったり準備したり食べたりする時間を節約できたらかなり時間を有効に使えるのでは?


そもそも1日三食きっちり食べよなんて誰が決めたんだよ! と逆切れしたくなる。

僕の詩を読んでください(笑

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題名:一日一善

僕が

定食屋で「ハムカツ1枚追加で!」と声をあげると

「は~い」と気の抜けたおばちゃんの声

すぐテーブルにハムカツが

あれ? 揚げたてじゃねえの?


数分後 カウンターのひとりのサラリーマンが小声で

「ハムカツって追加してもらっていいですか?」と

その1分後 もうひとりのカウンターの学生風の男性が

「ハムカツって追加できるんですか?」と

さざなみのように波紋が


おばちゃんはそういう注文がウザいだけらしいが

僕のひとことで、すくなくとも2人の人生を変えた

そして、ほんの少し店はうるおった

一日一善。

おさらいと、明るい未来のために。

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 まとめれば、私の申し上げていることはシンプルだと思います。

 大前提は、「我々が健康になる目的はすべて働くためである」ということです。

 ただ、一般的な見地で健康であるだけではダメで、若い人たちに交じって歳をとっても働き続ける(雇用される、あるいは仕事を受注する)ためには、我々はますます生産性を上げてゆかなければなりません。そのための、IT業界なりの手法を考え続けています。

 不健康なままで生産性を上げる手法は、年齢を重ねるごとになくなってゆきます。健康であることは当然、大前提になってきます。

 生産性を上げるということは、我々は基本的に頭脳労働者でありますから、脳が最大限に働くような施策を、自分に対して打っていかなければなりません。施策を打つということは、(自分に対して)投資するということです。ターゲットは、今よりも、20年後です。20年後も(脳が)老け込まないためにはどうしたらよいかを今から考えておく必要があります。



 健康でかつ、生産性が上がれば、非常に単純な図式ですが出世したり、給料が上がったりする可能性が高まりますね。それは、大変ハッピーなことです。仕事がハッピーになれば当然、人生そのものがハッピーになっていきます。

 そして、ずっと健康でずっと生産性高くキープできていれば、何歳になっても仕事の引き合いはあります。死ぬ直前まで働いていることができます(おそらく全盛期よりサラリーは下がりますが、年金とあわせればなんとかなるでしょう)。

 死ぬ直前まで働くことができたら、それはもっともハッピーな人生に違いない、という前提でこれを書いています。ですので、いわゆる「ハッピーリタイヤ」を最高の幸せと考えている方々とは、ちょっと話が合わないかもしれませんね。

 ですが、おそらくハッピーリタイヤを考えている方も、老後に毎日ぼーっとしているのが理想と考えているわけではなくて、現役の時代にできなかったことを思う存分やりたい、と考えているのだと思います。

 「仕事」を広義に解釈したときに、多くの方が老後に打ち込みたいと考えていることが「仕事」である可能性はけっこうあります(広義の意味での仕事とは「人の役に立つ」ために「行動する」ことであって、サラリーをいただくかどうかは必ずしも必須ではありません)。

 現時点では、多くのビジネスマンが、リタイヤすることがハッピーというすりこみがされているような気がしてなりません。でも、そんなことは決してなくて、何歳になっても働けること、そして、働くことで周りに感謝されること、というのは健康的に長生きするための必須条件なのです。



 仮に、定年制度などでサラリーマンのリタイヤを余儀なくされたとしても、健康で生産性の高い人間を世の中はほおっておきません。ので、運悪く再雇用されなければ自分で開業すればよいだけの話です。

 よくも悪くもこの国は、人材不足時代に突入しておりますので、言い方を変えれば、スキルを保持したまま一定の年齢に達したから退役、というのはもはや「許されない」のです。どの世代も総動員してこの国を支えていかなければならない時代に、なってきます。

 なので、これからの時代、もっと語弊のある言い方をすれば、スキルを保持したまま一定の年齢に達しつつある方は、老後に働き続けることを見据えて、モチベーションおよび健康状態を維持する義務が発生します。(「定年」=燃え尽き、にならないように)

 それは、徴兵制のようなものです(笑 もちろん、冗談ですよ)。60歳を超えたら全員健康診断と適性検査を受け、経歴書を提出して、「赤紙」を待たなければならない(笑)。どこに再就職するかは当局(笑)が決めます、とか。もちろん、本人の希望もある程度は考慮されるべきですが…

 その「徴兵」を回避したい(老後、働きたくない)のであれば健康を害していればよいだけの話ですので。

(略)



 健全に働いて、健康になる。健康になれば、さらにバリバリ働ける。ますます世の中から必要とされる。この正のスパイラルを死ぬ直前まで続けられたら、どんなに素晴らしいことでしょう。

 そのためには、ある程度自分で仕事を選べる立場になるところまで、自身のレベルを上げていかなければなりません。今が受け身の仕事であれば、何歳になっても同じです。マインドを変えていくのも必要ですね。

プライベートの質を上げる

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プライベートの「質」をあげようとしか考えてなかったかもしんない。
ここ10年ぐらいは。

関係ないけど、ちょうどブログ始めて10年ぐらい。シンクロするかな?

「質を上げる」ってのはね、たぶん、リア充ってわけじゃないんだ。いや結果的にそうなるんならいいんだけどね。

何度も書いてるように、いかにして「生活習慣」の質と量を高めるかっていう。

「量」もなんだよ。生活習慣の「質」を高めるのは当然の話で。

良質なルーティンであるとオレが判断したら、どんどん増やす。1日10分以内ぐらいでしょ、増やすっつったって。増やすどころか、増やしまくる。
つまり、まずやってみる。
やってみて取捨選択する。

そうするとどうなるか。。これは、オレの紛れもない体験談だけど、
生活に「面白み」が出てくるんだわ。

ふつう逆だと思うでしょう?ルーティンを増やしていったら、生活がつまんなくなるって思うじゃない、なんとなく。でも違うんだな!(ここ大事)
この感覚は、やってみないと、わからんよ。

まぁひとつのソリューションとしてはね、趣味をルーティンにいれる。これ、大事。

わかりやすいたとえでいえばゴルフが趣味な人は、週一で打ちっぱなしをルーティンにいれてしまう!
それがキツいのであれば隔週か、たとえば第二第四日曜とかね。
とにかくルーティンにする!

楽しみなルーティンをつくり、最優先にするということ。
ほら、生活に「面白み」が出るでしょう。

趣味は最優先でルーティン化しないとだめだよ。

スポーツだったら試合、ゴルフだったらラウンドとかも、隔月でルーティン化したほうがいい、ゼッタイに!
気が向いたら、じゃダメなんだよ。

バカなヤツは、プライベートまで縛られたくないとかホザくんだろうが。。そういうバカはほうっておいて、次のステージにいこうぜ!ということなんだ。

楽しいことを生活習慣に組み込んで何が悪いか、と。


そしてルーティンはますます増やしつつ、カイゼンをする。そして、どうしても「合わない」と体の奥の「感じ」がいっているのであればそれに従い、切る。

切って切ってきりまくってもいいけど、かたほうでは増やして増やして増やしまくる。

ほら、体の細胞だっけ? 実はけっこう入れ替わってるとかいうじゃん。それと同じ。

オレのルーティンも10年前と比べたら変わったのなんの。。
だがしかし!1日24時間のうちルーティンに割く時間は間違いなく増えている。2倍ぐらいにはなっているだろう。
ルーティンが2倍になってオレの人生単調になったか? まったく!なっていない。2倍豊かになっている。そういうことなんだよ。

2倍豊かになったとはすなわち。。なんつったらいいのかなこう、「何者かになった」っていうことなんだよね。

あーまた大事なこと書いた。

世の中バカばっかり、の根拠w

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あのね、俺の私見で、この日本でカシコいなあと考える人たちが、何年前からかなあ?けっこう前から、心から大衆嫌いになっているというか、とにかく、「もういいかげん、置いてくから、いいよね?」っていうサインを出し続けてるような気がすんのね。

そういうヒトってホンキで大衆がウザいらしい。

これが日本がどんどん格差社会になっている遠因だと思うわけ(おおきく出た。)
置いてっていいんだったら。。ラッキー!!と、カシコい人たちは爆速で一般大衆から去っていっている。突き放すにもほどがある、みたいな。
だって、「ぶらさがり」がいないから、のびのびと、好きなだけ、「成長」してゆく。結果としてカネもついてくる、と。


なので、なぜカシコいヒトたちに大衆がうざがられているかを説明しようと思う(嗤

これが俺は余計なお世話だとは思わないw 世代?間断絶を俺は食い止めたい。


なぜならば、まず、「ついていく気概が感じられない」からだと思うんだ。
いやあのね、ついてくのもついていかないのも自由なわけホントは。でもさ、カシコいヒトからみると大衆って異常なぐらいカネがほしいようにみえてるわけ。カネの亡者、カネこそすべて。中流の下より下ってみんなそうだよね?

すくなくとも金銭面、物質面では、200%人生に満足していないし、幸せ感を感じていない。

カシコいヒトたちはそれをみてふつーに同情するわけ。最初はね。んーそうだよね、大変だよねー、と。
だから、こうしたらいいんじゃない、ああしたらその負のスパイラルから抜け出せるのでは? みたいな、アドバイスは惜しまないわけさ。
。。いやごめん、「惜しまなかった」だな。

いや確かにね、そのアドバイスは結果的にビジネスにつながっていくのかもしれない。下心はあるかもしれない、どころかふつーあるよね。もしかしたらボッタクリのセミナーなのかもしれない。

でもね、成功者ってそうでないヒトにアドバイスしたがるってのは、真実なんだよ。はっきりいうとソフトに自慢したくてしょーがないのよ彼らは。
そして、金持ちになる確率の上がる話してやるから、カネ払えや、って思うのも資本主義のリアルだろう。

でもさ、それが嫌だっていうんだったら。。成功者は黙っとけばいいわけでしょう?

けっこう、言いたくて(自慢したくて)言ってるってのもなくはないと思うんだけど、「言わずにはいられない」っていうのもあると思うんだよねえ。
純粋な親切心で、だよ?

そういうのって成功した人の体験談だから説得力ありまくりなのよ。でも、中流の下、以下の人たちはまったく!聞かないよね。
なぜならば、けっこう「努力」が必要だから。

努力が必要、となるとぱたっとやらなくなるから、カシコい人たちはイラっとするんだよ。
カシコい人たちは努力する才能がデフォルトでけっこうあるんだよね。だから「その位置」にいるわけで。

一般大衆もさ(あ。。もちろんオレもそこにいるっていう前提で話してるけどね)、成功してるようにみえる人たちが、ちょっとした「コツ」で成功してるとかたくなに信じてるのが。。愚かなんだよねえ。。
うしろでけっこうな努力してるのに、完全に目を背けてるし、「エッセンスだけ教えろやゴルァ」って感じでしょ。で、仮にエッセンスだけ教えてもらったとしてもやらないから。

もしくは、エッセンスだけやったところで成功できねえから。あたりまえだけどね。
ある程度継続的な努力が必要ってのは、自明だからね。