元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「貢献」論

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オトナになってしみじみわかるのはね。。

圧倒的自由を得るために必要なのが、それに見合う圧倒的「貢献」というか。。

まぁまず仕事は思い浮かぶよね。自由を得るためには軍資金が必要だから、仕事はしなきゃいかんだろ。ちなみに不労所得を夢想してる時点で「圧倒的」な自由からは遠く離れている。小さな自由は得られるかもしれんが。このあたりは別途書こう。

仕事は社会貢献だよ。間違いなく。素晴らしいことだ。でもそれだけじゃダメで。
いやダメじゃないけど、説得力がなくてね。。

たとえば家庭でいえば育児貢献?家事貢献?とか、地域社会でいえば地域への貢献。そういうやつね。

そういう貢献があって始めてとんとん。そういう時代なんだよね。


つまり、ドライにいえば、稼働時間をとられるってわけ。仕事はもちろんそう。そして、仕事だけじゃダメだぞと、世の中からプレッシャーをかけられる。

キビしいでしょ?圧倒的自由ということは、圧倒的自由「時間」とほぼイコールなわけ。自由時間がほしいのに時間を差し出さなきゃいけないの。

で、現代人は、余裕をもってかまえて、はいはいわかりましたよ、いろいろマルチに貢献しますよ、とそういう心づもりでいたらいいのね。

サボって時間をねん出しよう、じゃダメなのよ。ていうかサイアクのソリューションなのそれは。サボってちゃ圧倒的自由は手に入らないのね。(期間限定的な、プチ自由は手に入るけどねえ)

つまり、喜んで時間を差し出すウラでは、死ぬほど貢献を効率化するのね。ちょっとの時間ねん出で最大限の効果を出すべく、死ぬ気で考えよということ。

ただでさえ仕事に時間とられてんだから、プライベートのはずの時間も少ないんだから、そこからさらに時間をねん出するんだから、仕事よりもヒッシに考えなきゃいかんわね、生産性を。