元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

カテゴライズを異常に気にするヒトたち

カテゴライズを異常に気にするヒトたち
ストレス発散に「酒」や「カラオケ」というのはもう古すぎませんか。。 趣味が分散化されているように、ストレス発散手段も分散化されているのです。
そして、あるヒトにとっては、家に帰って何かすることがもっとも効果的なストレス発散方法なわけで(あるいは、家に帰るというそれ自体)、ストレスは「外」で発散するもの、と考えること自体間違っているというか、古すぎ、というか。。
流行には敏感なのに、そういったカテゴライズには妙に旧来手法に固執したりするわけです。

ストレスは「外」で発散するもの、と考えているヒトは、資本主義の餌食です
ね。完全に「マスコミに洗脳完了されているヒトたち」に成り下がっているというか。。
そういうヒトにとってみれば、「外」ということはつまり、おカネを使うということとイコールであって、同じ「外」でも公園でくっちゃべることではないのでしょう。

なぜ、ストレス発散手段がイコール、おカネを使うこと、に収斂されてゆくのか? それは、庶民の財布のヒモをゆるませようと考えているヒトたちの情報操作が長けているからです。

私は、酒やカラオケより高度でかつより効果的なストレス発散方法を知っていますが、それを「強要」はしません。なぜなら、それは刹那的なものではなくて継続が要求されるからです。ストレス発散方法を知りたがるヒトは、ほぼ100%継続はできませんから。
努力しないで痩せられる方法を知りたがるヒトと同じ人種です。

でも、ホントウは、もっとも効果的なストレス発散方法は、「ハナシをする」ことです。ハナシをすること自体、全く、おカネはかかりませんが。。 問題は、その相手なのですよね。
相手を選ぼうとしてまたおカネを使ってしまう。そこにつけこむのが昨今の「スピリチュアルカウンセリング」系なのでしょうね。

相手は、家族でいいじゃないですか。ダメなんですかね?
すべてを肯定してくれないとダメなんですか? 「アナタは間違ってない」といってほしいだけなのですか?(であれば、確かに、おカネを払ってそれを「サービス」としてやってくれるヒトのところに行ったほうがいいのかもしれません)

ホントウにストレスがたまっているのであれば、それは「アナタ」もある程度「生き方」が間違っているからに決まっています。間違いを認め、ある程度は修正しなければなりません。また、その勇気を持たなければならない。

家族なら、それを指摘してくれるかもしれませんよ。でも、「アナタは間違っている」とは言ってほしくないわけですよね?そういうヒトに対しては「カワイソウに。。」と思ってしまいますね。