元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

ヴィジョン

stevengerrard.hatenablog.com

どういう人間になりたい、とかね、そういうビジョンがもしあったとしても(

あるだけマシだが)、それは今の自分の延長線上にしかないわけだからね。

 

つまりね、突然変異で「スバラシイ」自分に変身する可能性なぞ、250%な

いんだよ!

 

だからね、今、この瞬間からそのビジョンに向かって邁進するっきゃないんだ

って。

もし、本気でそうなりたいんだったらね。

 

でさ、今、そのビジョンどおりの人間になっていないわけだから(アタリマエ

だよな)。そのビジョンに向かうべく、努力のベクトルの方向性を、アジャス

トしなければならないわけね。

 

だってね、ムダな努力はしたくないじゃん。

 

で、ひとつの手段として、そのビジョンどおりになってる自分を想像して、そ

ういう自分のマネをする、つまり、なりきってみる、っていうのは、相当有効

な手段だと思うのね。

 

いや、絶対必要かもしれない。

 

たとえば年収2千万の自分を想定してるんだったら、年収2千万になった頃の

自分はまさかすき家で牛丼は食ってねえだろうな、だったら残業飯で牛丼喰う

のはやめとくか、とかね。そんなレベルの積み重ねでいいんだよ。

 

 

それともうひとつ、よく言われる考え方としては、将来のビジョンが完全に明

確であれば、実は今、この瞬間にやるべきことは、無意識のうちにセットされ

ている、っていうのも、「なくはない」と思う。

つまり。。これはかなり楽観的な論であってね、今自分がどんな行動を起こし

たとしてもそれは無意識的には将来につながっている、というね。

だからこそ、ビジョンを明確化するほうが先なんだよね。

 

オレの考え方としてはね、意識的に「楽(ラク)」な方向を選ばない、ような

自分まで磨きあげたとしたならば、それはもう、将来はセットされているので

はないか、と。自分は気づいていないけれど。

そしてその将来というのは、「悪くはない」ということ。ラクな方向を選ばず

に進んでいく人間に、悪い未来が待ってるわけがないのよ。

 

逆にいうと、30代、40代にもなって常に、ラクなほうラクなほうへ進もう

とするライフ・スタイルであるならば、そういう人間の将来はゼツボウ的であ

る、ということ。

それだけは、間違いないんだなこれが。