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元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

ヴィジョン

ameblo.jp

どういう人間になりたい、とかね、そういうビジョンがもしあったとしても(あるだけマシだが)、それは今の自分の延長線上にしかないわけだからね。

つまりね、突然変異で「スバラシイ」自分に変身する可能性なぞ、250%ないんだよ!

だからね、今、この瞬間からそのビジョンに向かって邁進するっきゃないんだって。
もし、本気でそうなりたいんだったらね。

でさ、今、そのビジョンどおりの人間になっていないわけだから(アタリマエだよな)。そのビジョンに向かうべく、努力のベクトルの方向性を、アジャストしなければならないわけね。

だってね、ムダな努力はしたくないじゃん。

で、ひとつの手段として、そのビジョンどおりになってる自分を想像して、そういう自分のマネをする、つまり、なりきってみる、っていうのは、相当有効な手段だと思うのね。

いや、絶対必要かもしれない。

たとえば年収2千万の自分を想定してるんだったら、年収2千万になった頃の自分はまさかすき家で牛丼は食ってねえだろうな、だったら残業飯で牛丼喰うのはやめとくか、とかね。そんなレベルの積み重ねでいいんだよ。


それともうひとつ、よく言われる考え方としては、将来のビジョンが完全に明確であれば、実は今、この瞬間にやるべきことは、無意識のうちにセットされている、っていうのも、「なくはない」と思う。
つまり。。これはかなり楽観的な論であってね、今自分がどんな行動を起こしたとしてもそれは無意識的には将来につながっている、というね。
だからこそ、ビジョンを明確化するほうが先なんだよね。

オレの考え方としてはね、意識的に「楽(ラク)」な方向を選ばない、ような自分まで磨きあげたとしたならば、それはもう、将来はセットされているのではないか、と。自分は気づいていないけれど。
そしてその将来というのは、「悪くはない」ということ。ラクな方向を選ばずに進んでいく人間に、悪い未来が待ってるわけがないのよ。

逆にいうと、30代、40代にもなって常に、ラクなほうラクなほうへ進もうとするライフ・スタイルであるならば、そういう人間の将来はゼツボウ的である、ということ。
それだけは、間違いないんだなこれが。