元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

何かを差し出す

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何かを実現させるためには何かを差し出さなければならないのです。

だから、楽して3億円当てようとか。。そういう目標を明確に立てたとしても世の中が許してはくれない。


「差し出す」覚悟のあるものとしてもっとも重要なのは、「労働」だと思うのです。人間ができること。

そして、人間ひとりひとりの労働をカネに換算するのが資本主義社会なのだとするならば、労働の「価値」を「豊かさ」とか幸福に「変換」するのは、何か超越的な存在なのです。(ここ、重要です)
まぁ、それを「神」といってもよいですが。。

前者と後者は「それなりに」別ものだということです。


この話は大変難しく、かつ慎重に書かなければいけないと思うのですが、

その法則性を見つけようとする人がわんさかいるわけですね。で、見つかっているようないないような。。
見つかってるんだったら学校で教えればよいと思うのですが。

一生懸命に働いて年収400万の人が複数いたとして、それが「豊かさ」や「幸福感」にどれだけ変換されているか? は人それぞれ。つまり、「お金をどう使ってるか?」というのもあるでしょうし。

同じような労働をして、幸福感を感じるのが「うまい」人とそうでない人がいますよね。
結論を先にいってしまえば「思い込み」なんですが。。


違うたとえですが、たとえば年収400万の人が、1億円ほしい!と願うとします。
心をいれかえて、「死ぬ気で」働きますから!と。つまり、追加の労働分を「差し出す」決断をするわけですね。

死ぬ気で働くといっても、時間的には1.5倍ぐらいが限度でしょうね。
で、資本主義社会であれば、400万*1.=600万 もらいたいところですが、皆さんご存知のようにことはそう単純ではなく。

とある職場で心をいれかえてバリバリと働くようになっても、いきなり給料は上がらないでしょう。歩合の比率が高い営業さんだったらあるかもしれませんが。

でも、長い目でみれば高い確率で収入は上がります。転職とか、そういう手段も用意されていますしね。


。。と、ここまで書いたことは、既存の「枠」の中での話で、凡人の考えはその域を出ません。

実際、稀に、死ぬ気で働きますから!という覚悟*追加の労働で、いきなり1億円をゲットする人も、いるんです。
実際存在する。じゃあその人は、何をしたのか? 何か特別なことをしたのか?

したのかもしれないし、特別なことはしていないのかもしれない。法則性は、あるようなないような。。
なぜなら、そういうのは大部分「運」に左右されるからです。それは間違いない。

運を我々は、「なかなか」コントロールできない。と思っている。

あ、ところで、もちろん 覚悟*追加の労働で、収入が増えない人が大多数ですし、それどころか張り切りすぎて職場でハブにされて収入ゼロになっちゃう人もいるわけですよね。

その差。。なかなかうまく、説明できないけれど、
まず、「差し出す覚悟」を持つ人間には、運が「開かれる」わけです。
次に、覚悟の継続(具体的には、追加の労働、とか)により、いわゆる「チャンス」が、やってきます。
それを、つかまえるかどうか! なんですよ。

覚悟をもって継続する人間にだけ、チャンスがやってくる、という意味では、平等かもしれない。
チャンスを、つかむのもつかまないのも、自由なのです。