幸せになれるか否かとアタマの良しあしは「比例」ではない
幸せになれるか否かとアタマの良しあしは「比例」ではないってのは、みんなまさか。。わかってるんだよね?
「学歴」とか、勤めてる会社の大きさとか、ステイタスとかも、もちろんそうだよ。
比例ではないがある程度の相関関係がある、ぐらいなんだよ。なぜならば、アタマが良い人のほとんどは、そのアタマの良さを活用して、生きていくのに最低限の収入を得ることができる(あるいは、得ている)から。
もっとわかりやすくいえば貧乏はほとんどいないってこと。貧乏って、強烈だからね。。
わかりやすくカネでたとえると、アタマがよいほど、学歴が高いほど、収入が高いわけでもないってのが、おもしろいところだよねえ?
そしてよくいわれているとおり、収入と幸福度が比例するとも限らない。
これは、やっかみで言われてることがほとんどで、やっかみの馬鹿どもは、収入が高いと「不幸になる」という言い方をするんだが、バカだね。。ホント、バカだね。
そんなわけ、ないだろう!
あのね、この国でもっとも、幸福感を感じている割合が高い「層」ってのは、もっとも「可処分所得が多い」層だよ。
そんなの、あたりまえじゃん。
ということは、節約とか質素が身体にしみついている人間ってのは、かなり幸福だってこと。
カネを使わないことにストレス感じないんだから。そりゃ幸せだわね。
そういうタイプかどうかってのは、育った環境によるわね。親のしつけ。
だから、かーなーり!身もふたもないこというと、幸福度が高かった親のもとで育った子は、高い確率で幸福だよね。
まぁ身もふたもないんだがあたりまえの結論ではあるよね。
幸福度が低かった収入の高い親のもとで育った子は、高い確率で不幸になるよ。
これも、あたりまえ。
だからね、どうすりゃいいかっていうと、子供がいるといちばんいいんだが。。まあ独身だったり子供がいなかったりいろいろな家庭があるからあれなんだけど、
自分が幸福かどうかはおいといて、自分があたかも幸福であるかのように、子供を育てればいいんです。
そうすりゃいずれそうなるし、育った子どもも恩返ししてくれるよ。
言うのは簡単だけどね。。それはつまり、自分が変わらなきゃいけないからね。
でもさ、今ドツボで、もっと幸せになりたいとかカネ持ちになりたいとか思ってるヤツは、変わらなきゃいけないに決まってんだろ?
そのためのひとつの方法を指南したってわけ。けっこう重要な方法を惜しみなく書いたよ。
おっと、ここで終わると、オレは独身だのうちは身体的事情で子供がいないんだ、だのクレームが入るから。。
そういうヒトは、いわゆる「社会貢献」しなさいよ。つまり、自分が幸福度高いフリして周りをほんのり幸せにしていくってこと。
別に、ボランティアにいけなんていってない。
ヒトにクレームつける前にまずやりなさい。そういうアホな人種って、いきなり自分の身の回りすっ飛ばしてボランティアいったりするんだよな。。
町内会の清掃には積極的に参加するヤツほど家がキタナいっていう。あるいは奥さんにやらせてるっていうね。
ダメだよね、そういうヤツは。