元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

内田樹さん

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「ひとりでは 生きられないのも 芸のうち」(文藝春秋

私たちは若者と労働の問題を論じるときに、「ここから」出発しなければならない。「適性に合った仕事をどうやって見つけるか」という問いを立てたことがそもそも「ボタンの掛け違え」だったのである。問いはそのようにではなく、「適性のない仕事に対するモチベーションをどうやって維持するか」というふうに立てられなければならない。
だって、仕事というのは、そういうものなんだから。
就業機会に恵まれないとかこつ人々は、おそらく仕事を「自己表現」のようなものだと考えている。だから、気むずかしい芸術家が途中まで仕上げたキャンバスを「こんなものは私の作品じゃない」といってばりばりと引き裂くように、「こんなものは私の仕事じゃない」といって蹴飛ばすことが正しいと信じてしまうのである。
なるほど、労働が自己表現であるならば、そのようなふるまいはたいへんつきづきしいものである。しかし、残念ながら、労働は自己表現でもないし、芸術的創造でもない。とりあえず労働は義務である。現に、「すべて国民は、すぐれた芸術作品を創造する権利を有し、義務を負う」という規定は日本国憲法のどこにもないが、「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う」ということは憲法二七条に明記してある。
労働は国民の義務である。「条件が揃っていれば働いてもいい」というような贅沢を言える筋の話ではないのである。「とにかく、いいから黙って働け」というのが世の中の決まりなのである。
なぜなら、人間はなぜ労働するのかということの意味は労働を通じてしか理解されないからである。