元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「田舎の生活」

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そもそもオイラは、中途半端な田舎に育った。大自然でもなく。。
「大自然」に入るにはクルマを飛ばさなければならないようなロケーション。

キャンプとか、川辺でのバーベキューとか、そういうのがキライだ。
だから、コドモともそういうイベントは、やらない。

だいたい、なんでオイラは高校を出て華の都大東京に上京してきたのか?
少なくとも、家族でキャンプやバーベキューを楽しむためじゃねーだろ。。

結婚して家族を持ってもそのあたり、まったくブレはない。
その代わりに、オイラはコドモらと、縦横無尽にこの「コンクリート・ジャングル」を動きまわっている。
コンクリートジャングルの中には、たくさんの「人工的な緑」が存在する。都市生活にはそのような、人間によって加工された緑がお似合いだ。

バーベキューだ、キャンプだ、とやらなければコドモとコミュニケーションがとれないのか?
オイラは毎日コドモと朝食を囲んでいる。朝だけでたくさんハナシをする。それだけで十分ではないか。


「子育て」という観点では、コドモは田舎だろうが都会だろうが、勝手にコドモらで遊びを見つけ、勝手に育つ。
「いきいきと」育つかどうかは外的環境ではない。家庭での躾に起因するのみだ。田舎でもずる賢いヤツは(たくさん)いるし、都心にも素直なコドモは(たくさん)いる。

別に、キャンプで火を起こせなくとも立派に都会で暮らしてゆける。
都会でたくましく生活できる人材を育成するのがオイラの使命だ。


ところで。。
都会育ちでイナカに「積極的に引っ込む」ヒトたちは最近増えているようだ。
逆に、かなり高度な都市生活をガキの頃送ったほうが、オトナになってからアウトドアを志向する確率が高まるのかもしれない。

であれば、ガキの頃はおもいっきりコンクリートジャングルの中で遊ばせて、資本主義の渦中でたくましく育てて、自然への欲求を渇望させておいたほうがいいのかもしれないなあ。

シツコいけど、ガキの頃にコドモへの「心の栄養」として必要なのは、外的環境を与えることではなくて、家族ぐるみで触れ合うことなのだろう。