元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

オリガミ(赤坂見附) パーコー麺の効用

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先日、赤坂見附のオリガミにいって「名物」パーコー麺を食べた。

これがまた、ウマいんだが。。(辛さを調節できたりするし)
パーコー麺2500円。

オイラはたまに、そういうムダ金を使いに街に出ることがある。たかがラーメンに2500円というのは、ムダ金以外のなにものでもない。
という、自覚がある。

それでも、そういう行動をしなくちゃならないんだ。
自分のこの行動の「衝動」の理由が、ムカシはよくわからなかった。

なぜ自分が、カネをドブに捨てるようなことをしているのか、ね。。


でも、最近歳をとってみると、なんとなくわかる。
僭越ながら(エラそーだけど)若いヒトたちには、オイラの二の轍を踏まないよう、若いうちからうっすらとわかっていてほしいと思う。


まず、人間というのは、特に都市部で生活していると、どこかで「損」をとりにいかなければならないのだ。
すべての行動が勝ち組ではいられない。特に、都市部での生活というのは、それだけで恵まれているのだから、どこかで「ガス抜き」のような「損をとりにゆく行動」をしないと、バランスがとれない。
どのシチュエーションでもガツガツと「得」ばかりをとっていてはいけない。

その「損」が、たかだかラーメンで2500円払って、ゲットできるのであれば、相当安いもんだ。

オリガミのパーコー麺は確かにおいしいのだけれど2500円の価値はないだろう。仮に1000円の価値なのだとすると、オイラは積極的に1500円の「損」をとりにいっていることになる。
それで、いいのだ。1500円は、人生でバランスをとるための授業料なのだ。

でも、1500円が授業料では、安すぎるから、いろんなところでちょくちょくと、「損」をとっていかなければならない。


で、もひとつのハナシだけど、カネというのは、使わなければならないんだよね。
それは、よくいわれてることでしょ。カネというのは使わなければ巡ってこないというのは。
それは、それなりの年数生きてきて、ひしひしと感じることだ。

。。書いていてつながってきたけど、「人生ではちょくちょく損をとりにゆかなければならない」というのと、「カネというのは使わなければならない」というのは、根底にあるのは同じ考え方なのだろうか。。