元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「オマエは見込みがある」の基準


「オマエは見込みがある」の基準 - シニアICT土方の【IT公論】

手前味噌だけど、オイラはこれまでの人生において(人生の「前半戦」において)数回、「オマエは見込みがあるぞ」的なことをいわれたことがあるよ。

こんな、ビジネスにおける最底辺層にいても。

そのうちの1回を例にとると。。

カラオケボックスでアルバイトしてたとき、何回か、「トイレ掃除」(ただのトイレ掃除ではなく、トイレに嘔吐物が撒きちらかされたときの掃除)をするハメになったんだけど、その1回目。

おい、ちょっと、酔っ払った客が「トイレ汚くしちゃった」みたいだから、掃除してきてくれ、っていわれてね。まだ新米の頃。

はーわかりました、っつって、トイレのドアぱっと開けたときに、まァ「それなりの」惨状になってるわけだけど。。(記念すべき「1回目」だったから、状況は鮮明におぼえている)

ニオイもまあ相当なもんで、でも、まァ仕方ねーな、なんて意にも介さず、淡々とキレイにしてやったさ。
もう、すげーニオイだから、早く片付けたくてしゃーないから、とにかく急いだよ。

ひでーもんで、トイレも詰まっちゃってさあ。


で、「おわりましたー」っつって、おーそーか、って言われて、マネージャ(店の)がそのトイレの様子をみにいって、帰ってきたときに、「オマエけっこう見込みあるな!」って、いわれた。

そのときは、別に、嬉しくもなんともなかった。「けっやりたくねえ仕事押し付けやがって」って内心思ってたけど。。


つまり、何がいいたいかというと、とにかく淡々と仕事をこなしてゆく姿勢、それだよね、「見込み」っていうは。

仕事やってると、ホントに、いろんなことがあるから。。いちいち一喜一憂してらんないから。
それと、どーせ(自分が背負って)やらなきゃいけないことは、ゼッタイ他人はやってくんないから、結局自分がやるしかないのよ。
そういう、諦観も必要。