元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

ムーブメントに乗るということ(「都心に住む」ということの再考)

ムーブメントに乗るということ(「都心に住む」ということの再考)

「ムーブメント」というものに、乗れない体質なのであれば、いっそのこと自分で作るしかないのか? そんなことは出来るのか? という話ですが。。

その話は書き出していっても煮詰まりそうな気がしますが、今日、はたと気付いたことがあります。

都心に住んでいること自体が、日本という大きなくくりの「ムーブメント」に乗っているのではないか、そして、「都心に住みたい」という衝動こそ、ムーブメントに乗る、という行動そのものではないか、ということです。

たとえば都心に住んでいると、某芸能人の家が近かったり、職場のすぐそばに安倍首相が治療にくる眼科があったりとか、そういうミーハーな事象が日常になってきます。
これも、本当は望んでいたことのひとつなのではないか? とは思います。

日本を動かしているモノたち(マスコミ、政治)が動いている中枢は都心です。これは、「日本」という巨大なムーブメントの中心点に位置するわけで、私含めた庶民は、その磁場に吸い寄せられていくわけです。
ここでは、ビジネス創出の可能性が無限にあるので、ビジネスマンも無限にやってきます。商いが盛んであれば繁華街も繁栄します。

インターネットでいつでもどこでも情報が引き出せる、というのは一面の真理ではありますが、真の情報はその場にいないとわかりません。

自分は、ムーブメントの中心点に引き寄せられるだけで終わっています。なぜかというとそれが目的化しているからです。「中心点周辺に位置する」だけで満足です。
今ここにいる、「ムーブメント」の中心点まで引き上がるのには、あまりに高い壁です。なぜなら、日本という巨大な組織の中心なわけですから。
それがムリだから、極小さな「ムーブメント」を自分でつくれないものか、という話につながってきます。

トンガリキッズ」と何も変わってやしません。田舎のナゴムギャルに憧れる純情娘が東京にやってきたのは「ムーブメント」に乗りたかったからに他なりません。原宿で写真を撮られて雑誌に載るのが、ムーブメントの周辺にいる証。スカウトされるのは、ムーブメントのメインステージに引き上げられるトリガとなります。周辺からメインステージに引き上がるために超えなければならない高い壁に、99.9%の人間ははね返されてきました。

以前も書きましたが、自分はその時代から何も変わっていません。ということは、子供の頃からの「夢」? を、ある程度実現できていることになります。
それは「大人偏差値」という観点ではどうなのか? ギリギリ偏差値60は突破しているような気もしますが。。

 

「はね返された」と思わずに、しがみついているのが肝要です。はね返されて「田舎に帰るよ。。」とカタルシスに浸る人が、多すぎました。