期待に応える、ということ
実は、他人や周りに期待されているのであれば、そうなるべく努力すべきなのではないか? と、最近思うようになりました。
「最近思うようになり」ということは、それまではそう思っていなかった、ということです。
コドモの頃から、僕は他人や周り(もちろん親含め)に相当な期待をかけられ、そしてそれに反発しまくってきたように思います。
で、今に至る。。もうコドモを持つ40代です。
自分の人生を悔いているわけでもないのですが、そこまで反発しなくともよかったかな、と。。親になってみて思うわけです。
反発のエネルギーではなく、周りの期待に応えるよう努力するエネルギーをもって、相当推進できたのではないか、と。。
そもそも期待というのは、(期待「する」側のハナシですが)こうあるべき、という「型」にはめるべきではないと思うのです。
僕が思うのは、「スケール」のハナシで。。
期待「される」側も、周りが、ある「型」にはめようとしているのを感じたならば、反発していいと思うのですよね。それぞれ人間には「特性」があるわけですから。
期待「する」側というのは、相手の特性を考えずに安易に型にはめようとします。
というか、あんまり考えていないんですよね。
ただ、期待「される」側は、周りが自分に対してある程度の「スケール」(「大物感」?)を期待するのであれば、それに応える努力をすべきだと思うのです。
「人間力」とでもいいましょうか。。
具体的な例でいえば、ビジネス・シーンにおいて、上司や取引先、あるいは同僚から、なんとな〜く「リーダシップ」に似た期待をかけられていると感じたならば、それには反発せず、応えてゆくべきだと思います。
その「期待」は、その本人に「何か」を感じて、かけられているものだと思うのです。
うまく書けませんが。。特にビジネス・シーンにおいては期待されるというのはとても幸せなことなんですね。