子供が小さい頃の経験
以前誰かが言ってたんだけど、子供が小さいうちの体験はオトナになって全然おぼえてないから。。(旅行とかいろいろカネかけてもムダでは?)みたいなハナシでね。
もちろん、「なんかちがうだろそれ。。」と思ったけどね。口には出さなかったけど。
こういうヤツを「精神的ケチ」というんだ。
まぁ、幼稚園に上がる前ぐらいのことはオレだっておぼえてないよ。
でもさ、だからカネをかけてもムダ、じゃなくてさ、てめーが楽しめばいーじゃん!
それだけのハナシだよ。
いちばん大事なことはね、
子供がオトナになってからの「潜在意識の拡がり」をナメてないか?と。
自分もガキからオトナになったんだろ? 自分がいちばんよく知ってるはずなのに。
個々の体験じゃなくて、子供が小さいころ愛情を受けて育ったっていう「イメージ」がすべてなわけでしょ。なんとなくこなさなきゃ、つっていろいろ行くんじゃなくてとにかく親子で楽しもう!という体験であれば、それは親の楽しみがそのまま「愛情」に直結するわけだからさ。
子育て経験がある人ならわかるっしょ?
あそこにいっただのカネをつかって高いの買っただの、そういうのは写真とか映像に残しときゃいいじゃんよ。そういう個々の体験はコドモは完全に忘れるけど、大事なのはもっとぼやっとした「イメージ」でしょうが。なーんかさ、家があったかかったとか、母親にだっこされるとほんわかしてるとか、そういうヤツ。
そういうのの多い/少ない ならば議論されるべきだが、それはカネのかかるハナシじゃねえし。
あ、そうそう。「非日常」の議論ね。小さいコドモに非日常の体験をたくさんさせたほうが否かっていう議論だとしたら、それは確かに、ムダにカネをかける必要はないかもしれないね。
さっきも書いたけど、ココロがこもってなきゃね、意味ない。
親が楽しめればコドモも楽しいんだから、であればカネかけてもいいんじゃない。
コドモに体験させる、と考えた時点で確かにムダかもな。