元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

何を為すべきか

それなりの大病をして、一応「助かった」(ということになっている)この生命で、何を為すべきか。。

なんてことは、考えるヒマもなかった。。というのは単なる言い訳で、考えないようにしてきただけですけれども。

まず、自分が何を為すべきかというのは、コドモを立派に育てるということ。
これはすぐに思い浮かびますし、立派に育つかという結果はおいておいて(運も関係しますので)立派に育つべく親としての努力はしているつもりです。

次に、親孝行、ですか。。
これについても相当、目を背けてきましたが。。
ひとつの言い訳としては、上記のとおりで、自分が立派な親となるべく努力をしているということ、次の世代を立派に育てようとする姿勢を見せているということで、まァひとつの親孝行にはなっているのではないかと。。

僕が親だったら、自分のコドモらがそういう姿を見せてくれれば嬉しいと思いますし。

あとは、金銭的援助。。「援助」というのはおこがましいですが、たとえば大学時代などに仕送りをもらっていた側としては、その分ぐらいは「返済」をしたいなあと考えています。

で、さてその次は、なのですが。(何を為すべきか)
コドモ、親ときたら次は他人なのでしょうね。
僕は、ヒトを助けるというのは相当大事なのではないかと思い始めています。
ヒトというのは、よく存じ上げない他人ではなくて、たとえば近所のヒトたちとか。。もちろん、友人もですが。

「助ける」というのはややもすると相当「上から」になってしまいますので、気をつけなければなりません。先方がこまっているときにそっと手をさしのべる、ぐらいでよいのでしょうね。
「草の根」というのがキーワードでしょうか。。