元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

Logues その3

Logues
2008-11-19 ■南直哉・茂木健一郎対談:「脳と癒し」

仏教には特効薬が無いんですよ。「これ一発でカタがつく」ということはあり得ないんです。もしそれを言うとすれば、それは仏教ではない。「これ一発」でこの世の悩みや苦しみが解決すると思うというのは――或いは、そうであ るかの如く言うのは――仏教ではない。具体的な悩みがあるんだったら、じゃあどうしようかと一緒に悩んで一緒に考えるのが、仏教者のやることなんです。
そのとき一番大事なのは、「或る物事は無条件でそのままそうあるわけではなくて、或る条件・或る縁のなかにある」っていうことです。
(中略)
従って、この世の雑事やこの世の苦しみを仏教がどう見ているかといえば、そういうものは「生きている」っていうことなんです。それが「生きている」っていうことなんです。
(中略)
死んじゃいけない理由は無いですよ。私は自殺肯定論者じゃないですよ。自殺が選択肢にある以上、仏教徒がとる態度は「そうであっても生きるべきだ」となります。生きる方に賭けを打つ。これが「信じる」ということです。仏教者が。
でも苦しいんです。最初から。お釈迦さんが二千年前に言っているように、苦しいんです。[苦は]無くならないです。「『でも生きていく』にはどうするか」、というのが智慧であって、そのときには苦しみというものの正体を はっきり見るのが先だとブッダは言っているんだと思うんですよ。
ですから、「この世の雑事と苦しみから一発で……」と言われると、目の前の父親もなんともできない私としては、特効薬があるとはちょっと言いにくいですね。