元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

Logues その4

Logues
2008-11-19 ■南直哉・茂木健一郎対談:「脳と癒し」

ものが見えなくなるときというのは大抵、「自分の都合に合わせよう」とするときなんです。その「自分の都合に合わせる」ということがどういうことかを一回立ち止まって見ないと、事はうまくいかない。「縁起」ってそういうこと なんですよ。ある物事がどの条件でどのように存在して、それが自分にとってどういう意味をもっているのかということまでちゃんと見えないと、解決法にはならない。これを智慧というんですね。と、思います。

僕のところに相談に来る人は往々にして、「今の苦しみは、このままやっていてもなんとかなる」と思っているんです――不倫をこのまま続けていても、今の苦しみが「写経すればなんとかなる」とか、「座禅すればなんとかなる」とか、「お寺参りすればなんとかなる」 とか――。私は「なんともならん」と言うんです。それはその人が業(ごう)として背負った以上、その人が自分で背負うしかない問題なんです。もしそうしたくないんだったら、自分の有り様――業の有り様 ――を見て、次の展望を開かざるを得ない。開いた以上は、どんなに苦しくても、どちらかに賭けざるを得ない。そうとしか言いようがないですね。