元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

ふさわしい家

久々に再録。今の僕の気分をうまく言い表してくれています。
(以下、再録)
ヒトは(家族は)収入に応じた家に住むのではなく

家事労働の質にふさわしい家に住むべきである、と思いますね。

たとえば、カネがあっても掃除をしない家族は広い家に住むべきではない。

メイドさんを使ってアウトソースすればいい、という声も聞こえてきますが、「それでいいのか?」とも考えてしまいます。

少なくとも私の考える新・庶民は、メイドさんは雇わない。

自分の身のまわりのことは自分でやる、と。自分(あるいは家族、あるいは近しいヒト)が手に負えないものはそもそも所有しない。

「家」というのはひとつのたとえで、手に負えるか負えないか、を測る尺度にしているだけです。

そこで問われるのが、いくら持っているか、ではなくて、「ヒトとして」どうか、というあたりなのでしょうね。

家族それぞれが。

あぶくゼニを持っていて、家を金額的には買えるけれども、もともと家計管理がずさんでローンを支払ってゆけないというのであれば家は持たないべきでしょうし。(そもそも)

メイドさんを雇うカネがあったら、月々のその一定額をもう少し豊かに使えないものでしょうか。

あるいはいっそのこと収入をセーブするとか。。メイドさんを雇いたい、と思うということはその家族は、家を維持する時間がないぐらいに仕事に追われて忙しい(と考えている)ということですよね?

つまり、過剰に働きすぎ、時間を仕事にとられすぎということです。

メイドを持つか、持たないかを考えられるぐらいの層のヒトであれば、仕事を自力でセーブすることができるぐらいの地位にあるのだろうと考えています。

そして、「家」とは買って、かつ維持するものです。その維持の重さ、タイヘンさから目を背けているヒトは、所有するべきではないでしょうね。

ハナシがちょっと違いますが、セカンドハウスはアリだと思いますね。(自らで管理するのであれば)

気分も変わりますし。。

「メイドを雇う」というキーワードは、90%以上が「ラクしたい」「(下層労働である)家事を(このオレサマが)やりたくない」という後ろ向きな発言に聞こえるのです。だから、違和感を感じるのですね。

もちろん、世の中には、家事を完全にアウトソースする必要性がある、選ばれたヒトも存在します。
(再録おわり)