元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

家事労働はオトコの仕事よりラクである、という前提


[再録]家事労働はオトコの仕事よりラクである、という前提|龍澤ヒデアキのバックドア

育児&家事のダブル攻撃は、コドモが小学校中学年ぐらいでひと段落するのです。
つまり、有限なのです。それに対して、男子は、そこからが佳境なのです。(生活費、学費が急カーブを描いて上昇してゆく)
この事実がもっとクローズアップされてもいい。

ひとむかし前の日本の企業社会のように、企業に寄生していさえすれば年功序列で少しずつ給料が上がってゆく時代ではなくなっているのです。さあこれからコドモの学費がかかります、というときにリストラされる可能性が高まっているのです。
リストラはされなくとも、おそらく出世コースに乗らなければ給料は上がらないでしょう。
それどころか、生活費の上昇カーブに逆らって、給料が下がってくるかもしれません。

そこで、ニッポンのお父さんがたが踏ん張れるかどうかは、そこまでの「蓄え」にかかっています。
その「蓄え」とは何か。(貯金ではありません)それは、ひとつは家族の声援ですね。
その背景にあるのは、お父さんがおカネを家にもってきてくれることへの感謝です。
お父さんが、継続的に「家族の声援」という財産を蓄えてこれたかどうか。

そしてもうひとつ、これは私の持論ですが、お父さん方はそこからスパートをかけなければならないのですから、そこまでは休ませておかなければならないのではないかと思うのです。そこまでは、お母さんが踏ん張る。つまり、「休息」の蓄えです。

そういう分担でよいのではないか、と思うのです。
お母さんが踏ん張る時期があり、お父さんが踏ん張る時期があり、コドモが自立した後に真に安楽の時期がくる、と。