元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

右傾化というよりは

最近考えるのは、世の中「右傾化」というよりは。。

サヨク思想(「左翼」ではなく)の根源にあるのが、「ないものねだり」のような気がしていて。。
これが、否定されてきているから、結果的に右傾化している、と。


それと大事なことは、サヨク思想どっぷりだと、一部をのぞいて(組織そのものがサヨクな場合をのぞき)出世できない(つまり、カネ持ちになれない)ことに、多くのヒトは気付いてきているのではないでしょうか。


結局、常に「ないものねだり」の人生だと、この日記で僕が少し前に書いていた(マイブームだった)「通奏低音としての不満足感」に潜在意識が支配されてしまい、平たくいえば人生がつまらなくなり、その結果としてカネ持ちにはなれないのでしょうね。

僕はカネ持ちではありませんが、人生に不満がないほどにカネ持ちになる確率は上がってゆくのではないでしょうか。

という考え方は僕はきわめてノーマルだと思っているのですが、一昔前はそうではありませんでした。

常に「不満」、あるいはその感情に近い「(精神的)飢え」のようなものを持っていなければ、向上心が削がれてしまい、金銭的な成功はない、と。

「満足感」というのは金銭的(あるいはその他の)成功によってもたらされるのだからそこまでは持ってはいけない、といったような。

その常識が、ひっくり返ってきたのです。世の中の「右傾化」とともに。


と、書いていると日本はものすごいパラダイム・シフトしているように思うのですが。。

その「シフト」は、僕は直感的に「良いほう」だと思っているのです。