元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

はじめの一歩

生活における通奏低音としての「不満足感」を払拭するには、まず自分が変わり続けること。

自分が変わっていけば、生活に飽きがきません。

そのための第一歩として、たとえば通勤経路をちょっとだけ寄り道するとか、ひと駅前で降りて歩いてみるとか、そういう行動をとることを、おススメします。

そういうことを、馬鹿にしないで。「わかっているんだけど。。」とまず、イイワケを探さずに。

文句ばかりで何も行動を起こさないよりはよっぽどいい。

日常を差異化するための「ちょっと横にそれる」行動であれば、なんでもかまわないのです。毎日「寄り道」して飲みに行ってしまっているヒトは、逆にまっすぐ帰ってみる、とか。。

一度差異化してもその変化した行動をまた続けてしまっては、変わり「続ける」ことにはなりません。細かく細かく、変えてゆくほうがよい。それができなければ数ヶ月単位で変えてゆくとか。。

ところで、変わり続けるとはいっても、メディアが喧伝する流行の真似をする行動では、「差異化」はなされません。

残念ながらそういう世の中の仕組みに、なっているのです。(逆に、「世の中うまくできている」といってもいいかもしれません)

ちょっとした行動、差異化を続けていけば、いずれ、「毎日同じことの繰り返し」と思っていた日常を少しずつ「ズラして」ゆくことが当たり前になってきます。

そこで初めて生活にダイナミズムが生まれ、「人生が変わる」状態への布石となります。

ところで、突然ぱっと変わることを自分に期待してはなりません。少しずつ自分を差異化して、変わり続けることにより初めてダイナミズムが生まれるのですから。